松島王墓を考える

松島王墓を考える - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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羽場の森2号古墳天竜川左岸の長岡区は、支流である沢川(田無川)の押し出しによって形成された扇状地にあります。長岡区にある古墳は、いずれも天竜川又は沢川に面した段丘上にありますが、このうち羽場の森古墳群は、天竜川の段丘突端部に位置しています。南から1~3号古墳と名付けられ、いずれも円墳で、横穴式石室であると思われます。このうち2号古墳は、平成10年度に保存を目的とした発掘調査が行玉類直刀われました。調査の結果、直径約16m、高さ約2.8mの円墳であることや、周溝があったこと、石室は片袖式の横穴式石室と思われること等がわかりました。石室の中からは、琥珀の勾玉やガラス玉等の玉類、鉄鏃、飾り金具(馬具?)が見つ土器馬具(轡)かりました。また、調査以前に出土したとされる坏や高坏、直刀、轡(馬具)、金環(金メッキされたイヤリング)が箕輪東小学校に所蔵されており、発掘調査で出土した坏片と所蔵品が接合しました。このことから、箕輪東小学校の所蔵品は羽場の森2号古墳のもので間違いないことが判明し、出土品の形式から考えると、6世紀中頃~後半頃に造られた古墳ではないかと考えられています。金環鉄鏃玉類刀子源波古墳羽場の森古墳群の東方約1.2kmに源波古墳があります。この古墳は、扇状地の扇頂部(山の麓)にあり、昭和62年度にグラウンド造成に伴う発掘調査が行われました。調査の結果、直径約20m、高さ約3.5m~4mの円墳で、石室は片袖式の横穴式石室であり、古墳をほぼ全周する周溝があったことがわかりました。また、石室の中からは、直刀、金環、琥珀の勾玉、轡、鞍金具(馬具)、辻金具(馬具)等が見つかり、石室の入口付近からは須恵器や土師器も見つかりました。さらに、周溝の南東部からは、須恵器の大甕が出土しました。出土遺物の形式から、羽場の森2号古墳や松島王墓より新しい、6世紀末~7世紀初頭頃に造られた古墳であると考えられています。土師器須恵器上伊那の古墳分布『上伊那誌』によると、かつて上伊那地方には400基以上の古墳があったとされています(消滅した古墳も含む)。しかし、現在確認されている古墳は160基余りで、多くが記録を残さないまま消滅してしまいました。上伊那地方で最も古墳の数が多い地域は、伊那市の富県・東春近地区と、手良地区です。両地区は、天竜川左岸段丘上、三峰川の左右それぞれの段丘上に位置しています。両地区にある古墳の多くは段丘突端にあり、天竜川に沿って南北方向に分布しています。両地区の古墳群は、その数からも、その他の古墳群を凌駕しており、突出した存在です。これ以外の古墳群は、数基から成る、ごく小規模な古墳群で、富県・東春近地区、及び手良地区の古墳群とは異なる性質を持つと考えられます。


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