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雲彩寺古墳について『信濃奇區一覧』には、飯田市にある飯沼天神塚古墳(雲彩寺古墳)に関する記述もあります。これは、寛政10年(1798)に市岡智寛が書き記した「雲彩寺所蔵古物之図」が元になっています。……寛政六年寺立替の時、境内を廣むるとて寺の後背を穿りけるに、積石にてこしらへたる洞六あり。十間余も崩しけるに、楢奥覚へずして、今に寺の後背に洞六そのままあり。中は暗くして、見ゆる所は左右みな積石なり。是より臥龍山と改む。此洞より取り出しせしもの、この図の如し品。所々へ分配して、今寺に存する所、鈴二つ、瑠璃の玉一つ、銅環一つ有るのみ。此の外滅金の浮漚丁二三百椀馬具剣刀の類有しが、みな朽敗すといへり。又上溝村の一民畠より一箇の鈴鑑を穿り出す。一鑑に五鈴あり。今に祠中に納め置く。この古墳は、全長約78メートルを測る、飯田・下伊那地方で最大規模の前方後円墳です。残存する石室の全長は約13メートル、高さは1.6メートルで、川原石を用いた細長い羨道が特徴です。この史料によれば、馬具類・単鳳環頭柄頭・銅鏡・玉類・金環・須恵器等が出土していた様子が描かれています。築造年代は6世紀中頃と考えられており、飯田・下伊那地方の代表的な首長墓の一つと考えられています。「雲彩寺所蔵古物之図」市岡智寛画寛政10年(1798)飯田市教育委員会蔵馬鈴(レプリカ)雲彩寺蔵