松島王墓を考える

松島王墓を考える - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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Ⅲ埴輪から考える埴輪について埴輪とは土で作られた焼き物のことで、その起源については、『日本書紀』垂仁天皇二十八年の条に記載がみられます。これによると、垂仁天皇の妻の日葉酢媛命が亡くなった際、野見宿禰という人物がそれまでの人を殉死させた風習に変え、墓上に人の土物を立てて祀ったものが埴輪の始まりと記されています。しかし、垂仁天皇が在任したとされる1世紀前後には古墳は築造されておらず、内容も土師部の祖である野見宿禰を称える内容であることから、信憑性は低いと思われます。現在のところ、吉備地方(岡山県と広島県東部)の墳丘墓に置かれた、死者に食べ物を供えるための壺とそれを置く台(器台)が埴輪の始まりではないかと考えられています。埴輪には円筒・朝顔形埴輪と形象埴輪があります。埴輪は古墳の墳丘に配列されていたと考えられており、初めは石室を囲むように円筒・朝顔形埴輪等が並べられていたとされ、死者への食物供献を壮大化したものだったようです。しかし、形象埴輪が登場すると、円筒・朝顔形埴輪は墳丘全体に何重にも重ねて並べられ、形象埴輪は行列のように配列されるようになりました。このような配列の変化は、目的が祭祀から権力誇示へと変化したことによるものではないかと考えられています。円筒・朝顔形埴輪円筒・朝顔形埴輪とは、丸い筒の形をした埴輪で、元々は、壺とそれを置く台(器台)という供献道具が、始まりではないかと考えられています。円筒・朝顔形埴輪の中にもいくつか種類があります。上に乗せる壺は壺形埴輪といわれ、底に孔が開いているものが多くみられます。これをのせる器台を円筒埴輪といいます。また、上部が広がってラッパのような形をしたものを朝顔形埴輪といい、壺と器台の組み合わせに由来するといわれています。始め吉備地方から畿内にかけて作られ、前方後円墳と共に全国へ普及していったと考えられます。円筒・朝顔形埴輪は出土が多く、時期によって形状が変化していることから、古墳の時期を考える手がかりの一つになっています。この時注目する点は、原料の土(胎土)、形、調整、突帯、スカシ、焼き方の6つです。松島王墓出土の円筒埴輪松島王墓から出土したとされる円筒埴輪片は、これまで100点ほど採取されています。完全な個体は無く、接合するものも少ないため、断片的に残っているだけですが、こうした埴輪片からは、松島王墓の円筒埴輪の特徴を確認することができます。主な特徴は以下の通りです。①原料の土(胎土)は均一(砂粒、雲母、石英、長石を含む)②形は円筒埴輪と朝顔形埴輪がある③表面はタテ方向の調整(タテハケ)が主体で、一部ヨコハケ(2次調整)と須恵質の破片が1点ある④突帯の断面は台形もしくはM字形⑤スカシは丸形⑥焼き方は均質で黒斑が見られず、硬質であることから、窖窯で焼かれたと思われる⑦直径が35cm前後のものと、20cm以下のものがあり、大小2種類の大きさがあると考えられる


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