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・太田氏の箕輪支配太田氏は、元禄12年(1699)から幕末まで、のべ3期にわたって約五千石を治めました。第1期は、元禄12年(1699)から宝暦6年(1756)までの57年間で、資良・資賢・資倍の三代にわたりました。資良は、松島字西垣外に松島陣屋を設けて家臣を置き、箕輪領七ヶ村を治めました。陣屋の正確な位置は不明ですが、長福寺(※井桁屋新聞店西の駐車場付近か?)の西に接してあったといわれています。また資賢は、松島追分に「右すはみち左松本道」と記した道標を建てました。第2期は、文化3年(1806)から4年(1807)の2年間で、領主は太田資寧でした。資寧は歌道を好み、多くの歌を残したといわれています。第3期は、文久2年(1862)から明治維新(1868)までの7年間で、この第3期に離脱騒動が発生しました。松島追分の道標松島陣屋の図面(個人所蔵)太田氏の具足(明音寺所蔵)