満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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切れず、日本に帰る時はやつらを海の中に投げ込んでやるのだと話し合う。早とんで何人か柵の外に作ってある馬鈴薯やキャベツ等腹いっぱい喰って死ねば本望、どうせ生きて帰れずこの苦労ならと、監視に討たれて担ぎ込まれて来る人も何人かあった。お互いに歯をくいしばってじっと耐えてきた。それから約一年半、八月のある日突然帰国(ダモイ)の命令が出た。前回同様注射他全て行う。前回だまされても帰りたい一心で本気にし喜んだ。今度は四昼夜乗って下車。ここはナホトカ港であった。海が見えて皆大喜び、今度は本当であると信じ、辺りには日本人が大勢いると聞いて見れば、ここには二千人の日本人がいる。自分達はここに来てもう一年余になるが帰れない者達も、いずれどこかに作業に行く事だろうという。又がっかり。指揮者は言う、最後の総仕上げだ、しっかりやるのだと。乗船して聞いた話だが、彼らは収容所にいる時共産教育をさぼった人達だから、ナホトカ港まで来てもなかなか帰れぬのだと言う。敗戦以来鉄道の沿線にいて見ていたが、満州国の機械・物資・ボロ貨車に至るまで、実に一年余、三十車両もの長い貨車で毎日運び続けたのである。それに関東軍の被服と食糧で四年間働かせ、まるで火事場泥棒同様、建築・炭鉱・伐採全ての作業収容所を移動する度に収容所のみであった野原が大きな部落と変った。ナホトカに来て一週間近いのに作業は無く、毎日室内で共産党教育、そして三年間歌い続けてきた赤旗・インターナショナル・労働歌・作業隊の歌をスクラム組んで歌う。作業はしない。それに給食も少しは量質共に良いので、皆血色も少しは良くなった。八日目、いよいよ整列、一列縦隊乗船である。各人に一本の鉛筆が渡された。人員の確認である。教育中恨み憎み続けてきたが、今日になりその事が逆に実を結んだのであるのか。でもまだ信じきれず、誰いうことなく自分達は船で米国に連行されるのだ。久しぶりに梅干と麦の入った米の飯が支給された。明朝船は懐かしい母国の舞鶴港に降り立つ事ができた。誰もが自分の手をつねってみた。夢ではない、祖国日本に帰れたのである。足掛け四年間、本当に長かった。一時として忘れる事の出来なかった団に残した妻子の安否、日本に帰っているのだろうか。星も凍るシベリヤの地でその年を数えた父母を呼んだ。兄弟姉妹、瞼に描いた妻子の面影をこの目で確かめるまでは安心することが出来なかった。この思いは捕虜生活をした誰もが終生忘れようとして忘れることは出来ない事でしょう。そして上陸、直ちに身体検査・DDT粉剤・入浴等終わり、一人三百円当りと夏の衣類何枚か渡され、電報も一通は無料で許された。早速自分も妻の実家に復員列車にて九日朝五時辰野駅着くと打った。久しぶりに辰野駅、急いで下車してみれば、妻子と妻の父らしい。安心するまもなく父のそばに寄り、しっかりと手を握りしめたまま言葉も出ず、ただただ涙がとめどなく流れ出た。そして四年間音信不通であった妻子共に手を取り合って帰宅した。妻子も無事二十一年秋帰国。妻の兄弟三人も入植していたが、二十年春二男が死亡したため、長男と三男が遺骨を持って帰国したが、三男が再度渡満して妻子の面倒を見てくれていて無事帰国出来た。いまだに頭の下がる思いである。今なお皆健在。二十四年に現住所一の宮開拓地に入植、二町歩の開墾、そして三人の子供を出産。四十五年には長女に婿を迎え、内外共に八人の孫もあり、四年前に家も新築し、昨年は先祖に感謝し塔も建てた。過去三十年余、無我夢中で過ぎた。一度失した生命と思えば如何なる苦労も恐れまじと、再出発の開拓に共に励まし合いながら頑張ってきた。でも逃避行・難民生活・餓死・凍死・自決、背中の我が子をかばいつつ目の前で射殺され死んでいく親子をどうするすべもなく逃避行を続ける。命の綱と頼りし関東軍の精鋭も信じる事さえ出来ぬ。敗戦ともなればこの様な人類としての最大の悲劇をこの目で見、そして体験したのである。我々引揚者は戦争の愚かさ・惨めさは、一生涯忘れようとして忘れる事は出来ない事でしょう。この様な悲劇は二度と再び繰り返すまいと、後の世に伝えなければならぬのです。待望の中国との国交も正常化され、現地墓参が出来るようになったこの頃、残り少ない余生を楽しく暮しております。今なお現地在住の土と成りし兄弟姉妹、あるいは帰国できず祖国現地在住の同志に対し、心から物故者の冥福を祈念しつつ、生存者の皆様方の御健康を御祈り申し上げます。完一の宮開拓地の歌一.仙丈ヶ岳白む頃鍬と鎌とを手に持って取組んで来た黒土畑地は開け広々とああ過ぎし苦難の幾歳か二.故郷遠く別れ来て想は一つ一の宮若い力の来るところ互いに助け睦み合うああつらぬき行かん我が理想三.植えた桜も皆伸びて行き交う児らも健やかに愛と希望の夢よせて土掘り起すトラクターああ理想の楽土築かんと箕輪町一の宮向山一雄


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