もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~

もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~ - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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年度9月13日出来事●旅館到着後、荷物の整理・休憩などの後、16時30分頃に旅館を出て海岸へ。最初は海岸で波とたわむれるなどして遊んでいたが、徐々に突堤に向かったと思われる。『S17.9.14土屋訓導の父兄への報告文』●突堤へは、3組・4組・1組の順に進んで行ったと思われる。なお、この突堤上は、海を見渡せる場所として知られており、この修学旅行では最初から突堤へ行くことになっていたものと思われる(※第1班も13日の午前中に突堤に行っている)。『村常会に配布説明した遭難状況の資料牛沢校長作成』●突堤の中央付近で釣りをしていた柴清一氏に「この先は危ないから行かないよう」注意されたため、話を聞いた土屋先生は滝沢先生に伝え、滝沢先生も村上先生に伝えたと思われるが、滝沢先生自身も「聞こえたかどうか」という状態であったようだ。そのため、1組は3組を追い越して、更にもう少し先まで行ってしまったものと思われる。『S17.9.18廣岡県視学との対談記録』等●一部の児童が蟹とりに夢中になる中、突如襲った海側(北西方向)からの大波に遭い、26名の児童が海中に投げ出される。先生や地元の方の必死の救助により21名が生還するも、5名が行方不明となる。『S17.9.15信濃毎日新聞』『S17.9.18廣岡県視学との対談記録』等●直江津署や水上警察署では船を出して捜索を行ったが、波は高く、夜になって視界も効かなくなったため一旦中止とする(18時頃)。『S17.9.15読売報知』等●18時頃、直江津から学校へ遭難の連絡あり。26名遭難、うち21名救助、5名行方不明とのこと。学校では直ちに全職員を召集。また、遭難児童の家庭に連絡する。19時頃、遭難児童の父兄が学校に集まり協議。『校務日誌』『利典遭難記』等9月14日●20時42分伊那松島駅発の電車で、牛沢校長と三人の先生、遭難児童の遺族五名等が直江津に向かう。『直江津遭難諸記録並法要綴』『利典遭難記』等●22時42伊那松島駅発の電車で、更に二人の先生が直江津へ。『直江津遭難諸記録並法要綴』●4時5分頃、昨夜出発した行方不明者の父兄等が直江津駅に到着。●4時30分、水上警察署の船により捜索を再開。村上・滝沢・根津の各先生が乗船。『直江津遭難諸記録並法要綴』●6時20分、現地の土屋先生が、救助された21名の児童の氏名などを学校へ連絡。『直江津遭難諸記録並法要綴』●14時、村会学務委員協議会が開かれ、下平教頭等が出席。『直江津遭難諸記録並法要綴』●15時40分伊那松島駅発の電車で村長及び関係する区の議員が直江津へ。『直江津遭難日誌』●16時59分伊那松島駅着の電車で直江津修学旅行隊第2班が帰郷。学校到着後、北体操場に父兄を集め、土屋先生より事件の報告あり。『直江津遭難日誌』●18時20分頃、現地より学校へ連絡あり。海が荒れて船を出すことが出来ず捜索困難。行方不明者未だ不明。本日の捜索は打ち切りとのこと。『直江津遭難諸記録並法要綴』●20時22分、旅館東寄り海岸で小野茂雄君の遺体発見。検死の後、聴信寺へ。この件については21時15分頃学校へ連絡あり。『直江津遭難諸記録並法要綴』等9月15日●7時20分頃、五智海岸で泉澤利典君の遺体を発見。検死の後、聴信寺へ。『直江津遭難諸記録並法要綴』等●8時20分頃、海上を捜索していた水上警察署の船が、突堤西側の海で大槻良平君の遺体を発見。検死の後、聴信寺へ。『直江津遭難諸記録並法要綴』等●小野・泉澤・大槻の三君の遺体は、聴信寺住職の読経(14時頃)後、母親の到着を待って火葬することとなる。『利典遭難記』等●14時頃、小野君と泉澤君のお母さんが現地に到着し、悲しみの再会。その後火葬場へ。なお、大槻君のお母さんは夕方到着したため、火葬は翌日となる。『利典遭難記』●14時15分頃、警察関係者が学校へ来校し、土屋先生等から聞き取りを行う。『直江津遭難諸記録並法要綴』●17時頃、明日三人の遺骨を出迎えることについて打ち合わせ。『直江津遭難諸記録並法要綴』●20時頃、直江津町などが主催する慰霊祭が聴信寺において行われる。『利典遭難記』9月16日●朝、大槻君の遺体の火葬後、小野・泉澤・大槻の三君の遺骨と遺族等は、10時頃に聴信寺を出発し、直江津駅で直江津町民に見送られて帰途につく。『利典遭難記』●11時40分頃、平松訓章君の遺体が、突堤の沖合約一里付近で発見される。一方、三澤英行君の遺体は見つからず。『直江津遭難諸記録並法要綴』●12時頃、学校では代表職員が、亡くなった児童の家へ御見舞いに行く。『直江津遭難諸記録並法要綴』●16時59分伊那松島駅着の電車で、小野・泉澤・大槻三君の遺骨と遺族等が帰郷。松島駅前には多くの児童等が出迎え、焼香する。また、5年生以上の児童は三班に分かれて、松島追分・大出・沢上の各自宅まで見送る。『直江津遭難諸記録並法要綴』9月17日●8時10分頃、学校の先生が三澤英行君宅を見舞い、現地の状況を報告する。『直江津遭難諸記録並法要綴』●10時頃、村上先生のお父さんが来校し、学校の先生と共に遭難遺族の家庭を見舞う。『直江津遭難諸記録並法要綴』●12時30分頃、松本の廣岡県視学より電話。始末書・進退伺の件について。『直江津遭難諸記録並法要綴』9月18日●7時30分頃、現地の校長先生より電話あり。平松訓章君の遺骨は明日10時過ぎに直江津を出発するとのこと(※その後の都合により実際は20日に帰郷)。『直江津遭難諸記録並法要綴』●12時、廣岡県視学が来校。引率した先生方と話をする。また、平松家・小野家を訪ね、御見舞いする。『直江津遭難記録綴』『S17,9.18廣岡視学との対談記録』●この日より当分の間、亡くなった児童の家庭を慰問するため、職員2名が交替で焼香に行く。(※27日まで)『直江津遭難諸記録並法要綴』―21―


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