もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~

もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~ - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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◆今も続く慰霊の心直江津遭難事件で亡くなった児童を追ついとう悼する慰霊の行事は、その後も続いています。昭和17年度の校務日誌には、毎月の月命日に黙もくとう祷・墓参が行われたことが記されています。昭和18年9月13日には、母校で一周忌法要が行われ、大勢の関係者が悲しみを新たにしました。昭和19年9月24日には、同じく母校で三回忌法要が行われました。さらに、昭和23年9月12日には、松島の明音寺において七回忌法要が行われましたが、この時は暫しばらくぶりに村上先生(※警察勤務とある)が参加されたと記されています。また、法要の翌日には、遺族・教師代表・同級生代表が直江津へ行き、現地の人への御礼と、関係寺院での法要を行いました。なお、この時の記録には、牛沢校長が昭和20年に東京大空襲に遭遇して亡くなった旨。また、滝沢先生はシンガポールで戦死され、土屋先生は下高井の中学校教頭として奉職中である旨が記されています。昭和29年9月12日には十三回忌法要が行われ、法要に先立って慰霊碑の除幕式が行われました。慰霊碑の裏面には、亡くなった5人の名前と、「吾一人ニ五人ノ分ヲ負ハンノ意気ニテ冠スルニ」という同級生一同(搏美六人力会)の思いが記されています。また、昭和39年9月13日には、同級生主催による二十三回忌法要が行われました。慰霊の思いは現在も続いており、箕輪中部小学校では、毎年の命日に児童による献花が行われています。また、これとは別に、昭和18年10月30日には、遭難五児童の霊が大阪にある教育塔に合祀されました。教育塔は、災害や戦争のほか、学校教育時間内に不慮の災厄で亡くなった児童・生徒・教職員等を分け隔へだてなく合ごうし祀・慰霊する塔で、当初(昭和11年)は帝国教育会の事業として造塔・運営されましたが、戦後は日本教職員組合が管理・運営しているとのことです。十三回忌に建てられた慰霊碑(箕輪中部小学校)二十三回忌法要の集合写真(昭和39年)昭和62年に建てられた牛沢先生の頌徳碑しょうとく(箕輪中部小学校)現在も行われている慰霊の行事(平成27年9月11日撮影)―13―


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