もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~

もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~ - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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◆悲しみの再会ち智海岸に一人の遺体があるとの連絡がありました。現地へ行って確認したところ、9月15日の朝、朝食後に捜索に出かける用意をしていたところ(※正式には午前7時20分頃とある)、遭難現場から2㎞ほど離れた五ごそれは大出の泉澤利典君でした。遺体は検死の後、聴信寺に運ばれて納棺されました(午前8時頃)。その後、午前8時30分頃に、海上を捜索していた水上警察署の船が戻ってきました。その船には、沢上の大槻良平君の遺体がありました。大槻君の遺体は、遭難現場(突堤)のすぐ西側の海で発見されたとのことでした。そして検死の後、聴信寺に運ばれ納棺されました。こうして、小野・泉澤・大槻の三君の遺体は、聴信寺住職による読経の後(※午後2時頃終了)、直江津町の火葬場において火葬されることになりました。遺体の火葬は、それぞれの児童のお母さんとの対面を待って行われました。午後2時頃には小野君と泉澤君のお母さんが現地に到着し、わが子と悲しみの再会をしました。そして、午後3時頃に霊れいきゅうしゃ柩車が来て火葬場へ行き、午後5時頃に帰って来て遺骨を聴信寺に安置しました。また、大槻良平君のお母さんは夕方到着したため、大槻君の火葬は明朝に行われることになりました。そして夜8時から、直江津町などが主催する慰霊祭が聴信寺において行われました。その様子を、泉澤近次郎氏は「町長及び六年生にて盛大なる慰霊祭なり」と記しています。慰霊祭は10時頃に終了し、三人の遺族は通夜をなしました。そして、明朝大槻君の火葬が済んだ後、遺骨は郷里へ帰ることになりました。直江津町長古川長四郎氏の弔詞(9月15日の慰霊祭にて読まれたもの)直江津国民学校児童代表の弔詞『利典遭難記』(昭和17年/個人所蔵)慰霊祭が行われた聴信寺(近年建て替えられた)たま◆三人の遺骨の帰郷9月16日、大槻君の火葬後、郷里へ帰る三人の御み霊(遺骨)と遺族は、午前10時頃に聴信寺を出発し、直江津駅で直江津町民に見送られて帰途につきました。そして、途中の長野駅で一度下車した際、長野駅長から平松訓章君の遺体が見つかったことを聞きました。その後、午後3時20分に辰野駅に到着し(※辰野駅では親族の方や代表児童らが迎えた)、少し休憩した後、伊那電鉄の特別電車に乗り換えて、午後5時前に伊那松島駅に到着しました。駅前には村民や児童が大勢出迎えており、読経及び焼香の後、初等科5年生以上の児童が手分けをして、三人の御霊を松島・大出・沢上の各家まで見送りました。こうして、多くの人たちに見送られて、三人の御霊は懐かしい我が家へ帰りました。―8―


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