もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~

もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~ - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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◆突然の大波しつたや旅館を出た一行は、最初は砂浜で波とたわむれるなどして遊んでいたようですが、次第に突堤に向って歩いて行きました(※午後5時頃と思われる)。この突堤上は、海を見渡せる場所として知られていたようで、この修学旅行では最初から突堤へ行くことになっていたものと思われます(※第一班もこの日の午前中に突堤に行っている)。当時の突堤は長さが388.1mで、そのほぼ中央にあたる196.5mの地点で形状が少し変わり、その先の191.6mの範囲は西側が一段高い二段構造になっていました。突堤へは、三組(土屋州造先生)、四組(滝沢平和先生)、一組(村上甲かお子男先生)の順に進んで行ったものと思われます(※聞き取り調査では一組が先という話も聞かれました)。途中で(※突堤中央付近と思われる)、釣りをしていた地元の柴清一氏に、先の方は危ないから行かないようにと注意されたようですが、どの組も更に少し先まで進んでしまったものと思われます。柴氏から注意された土屋先生は、その後も先に進んだものの、略図に示された付近で引き返したものと思われます。また、土屋先生から話を聞いた滝沢先生の四組も、同様の付近で引き返したものと思われます。その後ろから来た一組は、三・四組の位置を通り過ぎようとしました。事件後の事情聴取では、滝沢先生は注意されたことを村上先生に伝えたと話していますが、滝沢先生自身も「聞こえたかどうか」というような状況だったようです。村上先生が滝沢先生の話を聞いた上で行くと判断したのか、あるいは波の音などで滝沢先生の話が聞こえなかったのか、今となってはわかりませんが、一組は三組を追い越して更に先まで行ったものと思われます。そして、引き返そうとした頃、蟹に夢中になっていた児童らは大きな波に気がつかず、海側(北西方向)から来た突然の大波に襲われ、26名の児童が海へ転落したものと思われます。突堤の古写真遭難時の位置図(村常会に配布・説明した資料に加筆修正)◆懸命の救助一瞬の大波に襲われ、大勢の児童が海に投げ出されました。何とか転落を免れた児童らが見たものは、多くの学友が海の中でもがいている光景でした。一瞬呆ぼうぜん然となった村上先生も、すぐに救助をはじめ(※村上先生は泳げなかったため、突堤近くまで泳いで来たものの上がれないでいる児童を引き上げたと思われる)、土屋先生は上着を脱いで海に入り、近くにいた児童を押し上げるなどして救助し、また、何度もの波で沖の方に引き戻された児童を助けようとしました。また、これより先、突堤で釣りをしていた地元の柴清一氏は、海に飛び込んで救助を開始し、その場にいた2~3人の人も突堤に引き上げるなどして手伝いました。懸命の活動で多くの児童(※結果的に21人)を救助しましたが、荒波の中での救助活動は救助者の体力を急速に消耗させ、ほどなく救助を終了せざるを得ませんでした。そして、全員を救助したと思って点呼をしたところ、沢上の大槻良平君、大出の泉澤利典君、下古田の三澤英行君、松島の小野(大和)茂雄君、木下の平松訓よしあき章君の5名が行方不明であることが明らかになりました。―6―


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