もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~

もうひとつの遭難 ~中箕輪国民学校の直江津遭難~ - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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第Ⅱ章中箕輪国民学校の直江津遭難1遭難事件の概要◆直江津修学旅行の目的現在残っている史料の中には、明治・大正時代の駒ヶ岳修学旅行に際して学校が作成したような計画書の存在を確認できていないため、直江津修学旅行の具体的な目的がどのようなものであったかは不明です。事件後の昭和17年9月21日付で、県の学務部長から県下各学校長あてに出された学校生徒児童の団体旅行に関するいめい命通つうちょう牒には、「一.旅行の計画に当りては左の点に留意すべきこと。・・・(中略)・・・詳細なる日程及び参加者依心得を作製する外、旅行先に於ける引率者としての任務行動を細密に定むること。・・・(後略)」と記されていることから、計画書が事前に作成されていなかった可能性も考えられます。一方で、事件後に記された新聞や文書の中には、修学旅行の目的について記しているものが見られます。「(前略)・・・海岸旅行は六月集団旅行の解禁で参宮旅行と海洋思想昂こうよう揚の旅行が奨励され、海洋見学の旅行が増えているので・・・(中略)・・・廣岡視し学は語る。学校では本県は海のない国だから海洋見学のため直江津へ旅行したものだが・・・。」(『S17.9.16朝日新聞』)、「陳者今回学校にては海事思想の涵かんよう養並訓練の目的をもって去る九月十三日初等科六学年児童第二班総員百五十四名を直江津海岸に旅行なさしめ・・・(後略)。」がく(『S17.9.25本村出身出征中の兵士に出せる牛沢校長の挨拶状』)等と記されており、この修学旅行が、海洋見学と海事思想醸じょうせい成を目的として行われたことがわかります。しかし実際には、海以外にも城跡や寺院、水族館なども見学しており、児童にとっては大変楽しみなものであったと思われます。昭和17年直江津修学旅行の行程図(推定)日本海水族館突堤海水浴場つたや旅館駅津江直五智国分寺北越線新潟ニ至荒川(関川)春日山駅信越線東京ニ通ス地之陸上人聖鸞親北陸線京都ニ通ス林泉寺春日山城跡立ち寄り箇所―4―◆直江津海岸までの行程昭和17年(1942)の直江津修学旅行は、六年生全五組を二班に分けて行われました。このうち第一班(二組・五組)は、9月12日の午前6時42分に伊那松島駅を出発し、午後5時30分頃つたや旅館に到着しました。一方、13日に出発した第二班(一組・三組・四組)は、第一班よりも二時間早く伊那松島駅を出発し、10時30分頃に春日山駅に到着しました。徒歩で春日山城跡・林泉寺・五智国分寺・水族館などを周って見学した後、午後3時30分頃につたや旅館に到着したものと思われます。なお、途中の脇わき野の行きの第二班の列車と帰りの第一班の列車がすれ違い、互いに手を振る場面があったようです。また、当日は春日山城跡のお祭りで大変賑にぎわっていたそうです。つたや旅館で荷物の整理などをした後、一行は午後4時30分頃に海岸に出たものと思われます。なお、海岸に出たことに関しては、地元の人に「今日は波が高いから次の日に行けばよい」と言われる中、子どもたちが行きたくて先に出てしまったという話も聞かれました。田駅では、だ


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