満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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―乗って(帰って)来た船は別?宮下:違うだよな。松沢:いろいろ違ったら、何だか知らん。宮下:向山さんのおばさんたちとは一緒だったもんで。―向山さんたちね。松沢さんは倉田さんたちと一緒だったんですか?松沢:一緒じゃないよ。―違うんですか?松沢:倉田さんはねえ、知らないわしは、一緒に居たんだけど(途中で)別々になっちゃったねえ。宮下:船の中でしょうがねえもんで歌を歌って来たのよ。松沢:あのねえ、汽車は一緒だったじゃん。宮下:うん、そうだな。松沢:おっかなかったね、あの汽車。まあず、ねえ、雨がザンザン降るんだよ、二日も三日も。ほいといて、ね、歌を歌えなんたって歌どころじゃないじゃん。歯が鳴るの、カチカチカチカチとフフフ…。本当。―その汽車の時は一緒だったんですね?途中歩かされたところもあったりした?宮下:わし達は歩かされた。線路をずうっと歩いて、そしてまだ歩かにゃあならんところがね、あったけど。松沢:あれはなんだい、川を渡ったの?松花江ってうんと広いんだに、でかい川だよ。どういうもんだったかねえ、何か壊れて通れななんだ…。宮下:歩いた時は水のあるところじゃないけどな、だけど歩かにゃあならなんだ。松沢:何かもう六十四年ばか経つかなあ、いろいろがへえ馬鹿になってくるよ。宮下:何しろ満州の井戸、水汲む所、このくれえの穴があって、ね、こんな風にね、なってて、そうしてザルはね、あの柳で編んだような、で長いこうやって汲むんだけど、おっかねえじゃん、こればっかの穴でね。―それは富貴原に居た時の井戸?宮下:花岡ね。松沢:わしはねえ、泉平って名の通り水がうんとある所。―川があったってこと?松沢:川じゃねえだよ、もう水が吹き出るの、清水が。ただそこからバケツで汲んでくるだけ。楽だったに。ほんと泉平って名前付けたんずら、泉が出てるもんで。村上団長だって二度ばか来て泊まったに。遠いもんでな。―楽しかったことも苦しかったことも色々とにかくあると思うんですが…。松沢:楽しかったこともうんとあったよなえ。終戦すぎは駄目だに。楽しかったよ、毎日ねえ、本当にまあずお客に呼んでくれるだもの、どういうことか、わしいい気になってお御馳走になってた、何にもやらなんで、ヘヘヘ…。―現地人の家に?松沢:いんね、ここの部落中の家、今日はここ…、ほいで十日に一度くらいね、集会所のようなでっかいあれがあってね、そこでねえ、あの、一杯飲むの皆んなが、歌を歌ったり。ほいてお風呂はねえ、こんなでかいヤギ草のねえ、草をねえ、一把も刈ってくるとねえ、お風呂が沸くんだよ。宮下:あれはこういう丸いお風呂だったけど。釜だったのかなあ。松沢:釜。あれ熱かったに。―どうしても終戦の後に逃げていくルートがまとまらなかったんですけど、今日お二方の話を聞いて、何となく…二つあったんですね、花岡の方と、泉平・大和の方と。それが大和で一緒になって、そこからは一緒だっていうことがわかりました。松沢:一緒になって、天草へみんな行ったわけだに、全員が。―わかりました、その流れが。みなさんあのやっぱりあれ、村にいる時も帰る時もバラバラなので、個々の体験を手記とかには書いているけれど、中々繋がってこなかった。松沢:バラバラだよね、病気になったり色々がねえ。ほいて連絡も無かったりするら、そういうこともあるじゃんね。―わかりました、ありがとうございました。長々と、お疲れ様でした。


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