満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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―松沢さんたちはじゃあ、ナチトンで引揚命令を聞いたんですか?松沢:そうだね。―それからハルピンかどっかへ集まったんですか?松沢:新京…じゃないチチハル。その時に、あのう、お金くれたじゃんね、四百円だか三百円だか知らないけえど。宮下:覚えがねえなあ。松沢:おめさんだって知ってるよ。弟(勝彦氏)がねえ、もらって「みんな俺に預けてくれたよ」ちゅって話してたじゃん。いい弟でなえ、「姉さん姉さん」ちゅって。真面目なねえ、本当にいい人なの。天草に居る時だけえど。(勝彦氏が)芋を盗むなんて言うと口が悪いけどねえ、来るわけ。ほいてわしにはねえ、わりええくれるんだよ。「もうちっと欲しいよ」ちゅうと。―それは天草に居た時?松沢:天草。「姉さんにだってやらにゃあならんもんで、そんねにやれねえわね」って言っちゃあ。宮下:フフフフ…。松沢:でも分けてくれた。宮下:トタンを穴開けて、それは芋をすったな。松沢:あれはねえ、おいしかったよ。とろんとしてねえ。塩も何もしないけえど、おいしかったねえ。何か鉄板をねえ、それは他の話だけどねえ、鉄板を石だか何か置いといて敷いといてね、畑へ行ってちょっと盗んでくるの、大豆を盗んできてねえ、行李がねえ、蓋があってね、知らんけど一つだけ。そこへ入れてねえ、振るんだよ、それでねえ、バラバラっと落ちるら、実が、大豆が、それをきれいにしてねえ、風でこうにやっといてねえ、それを今度炒ってねえ、食べるの。だけどその、お誕生日前の子供にねえ、二ヶ月も前の子供にくれるんだに、その大豆を。―それしか食べる物が無いから?松沢:噛んでねえ、しっかり噛んでやったんだけどねえ、まだ歯もろくに生えてないにねえ、それをくれたんだに、おい。―当然母乳は出ないわけなんですよね?宮下:自分たちも食べれないもんでね。乳なんかいくらも出ないの。松沢:ちょっとしか出ないよね、出るったって本当に僅かね。―お腹空いちゃうもんで、そういう消化の悪いものをやらなきゃいけなかったっていうことですね。松沢:まあず、犬のスープ。毎日なえ、嫌だったよ。―それは何処でですか?松沢:天草。犬をみんな連れてってねえ、犬がいっぱいいたんだよ。―飼ってた犬を殺して食べたってことですか?松沢:そう。飼ってた犬がね、ついてきたの、いくつも。一頭ずつ殺しちゃあねえ、満人の畑へ行ってねえ、白菜の枯れっ葉だか何だか拾って来ちゃあねえ、それで洗ってさあ、それと、それこそあれだわ、あと犬の肉だわね、それをスープにして。何にも器が無いんだよ。―とりあえず空腹を満たす程度?宮下:そうだよ。―帰って来る時はみんなまとまって来たんですか?松沢:まとまったんじゃないな。―松沢さんと宮下さんは一緒だったんですか?宮下:全然違う。松沢:発疹チフスだったなあ、植田さん(植田福弥氏)は。チチハルで。宮下:おいさんが?松沢:うん。発疹チフス。ほいでね、本当に駄目かと思ったって、よく助かってきたね。ほして鈴木さんもそこで亡くなったんだに。鈴木さんのおいさん(鈴木暦造氏)が、発疹チフスで。宮下:虱でみんな移っちゃうのよ、虱。虱がいっぱいだもの。わしだって、そこらじゅうで泊まって来にゃあならんら、ね、そうすると側に若い、それこそ勝ちゃ、勝彦たちのようなああいう衆がゴロゴロしてね、寝てるの一緒に、だけど明日の朝死ぬぞありゃあと思っていた。松沢:わし達の横でどんどん死んだなえ。宮下:なあ。朝になったら死んでるわ。―それはチチハルで?松沢:コロ島。―コロ島で?宮下:コロ島でなくても他でもね。―コロ島では(二人は)一緒だったんですか?宮下:コロ島の時はね、あのコレラだった時は一緒だったな。松沢:コレラ?コレラは新京だわ。宮下:新京か。松沢:新京でね、新京もはあるか、一月ばか居たかなあ。宮下:ほいだもんで、なから二月ぐれえかかって帰ってきたなあ。―向こうを八月に出て、こっちへ来たのは十月。みんな二ヶ月くらい掛かって帰って来た?あの上陸する前に足止めになった時は一緒だったんですか?宮下:違う。


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