満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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宮下:へえそこで死ぬと思ったよ。死ぬと思った。松沢:わしはお金は一銭も無いもんで。―伊南でみんな一緒になって、もう持ってるとあれだでっつって燃やしちゃったわけ?宮下:写真や何かもね。―ほいで伊南から天草へ行ったつうこと?松沢:伊南じゃねえ、大和。宮下:大和。―大和へ?だから伊南から一回大和へ行くんだよね。松沢:うん、そう。―またもう一回。松沢:伊南から帰って来たの、大和へ一回。それから二日ばか居たけえど、こんなとこには居れんちゅうことで天草の開拓団のところへ、天草っちゅう言葉が全然わからないに。―それは蒙古が集まれちゅう話だった?松沢:蒙古だか私は知らないよ。宮下:蒙古だと思う。―大和に居たのは二・三日で、伊南にはどのくらい居たんですか?松沢:伊南は二日ばか居たっきり。―じゃあ二日いて、また大和も二日くらい?松沢:そんなにお世話になれないしね。伊南の衆はどこへ行ったか知れないねえ。天草じゃあないに。宮下:伊南の衆はわし達と一緒に行ったと思うよ。松沢:天草にいたって?宮下:わし達と一緒にあのう、伊南の開拓団わし達と一緒に行ったじゃん。そこから二日ばかお世話になったけど、みんな一緒に今度は行ったのえ。松沢:天草へ行ったのかねえ。宮下:そうえ。松沢:あれ、それ知らんよ私は。宮下:それで(蒙古の警備隊が)全部送って行ってくれたの。松沢:あれどのくれえだかねえ、二日ばかかかったな、あそこへ行くに。宮下:ああ、そうだなえ。―天草はナチトンという所にあったんですか?松沢:天草はうんと違う、うんと遠い。ナチトンじゃないに、全然違うに。宮下:ジャラントンは…ジャラントンからずうっとわし達が、ジャラントンに迎えに来て浦野さんのおじさんがちゃんと来ててくれて…。松沢:(それは)来たときずら。宮下:初めて行った時。松沢:そうだね、そうそうそうそう。宮下:ほいて次の日にあのう車に乗せてってくれて、一緒に。―天草の開拓団は着いた日から襲われたんですか?宮下:着いたばっかりじゃねえかい?松沢:着いた途端にねえ、夕方着いたわけ、ほいてねえ、まあそれぞれ部屋を借りてねえ、二階だか何かねえありゃあ。宮下:学校だもんで。松沢:ほいていて途端にねえ、匪賊が来て、来たっちゅうことで、すぐにあの、モロコシ畑だか逃げたねえ。みんな逃げたわけ。みんな子供がねえ…。宮下:ラッパ吹いて来るの。松沢:ほいて笛を吹いてねえ、あの持って来た荷車ねえ、馬から、荷物がついてるじゃんまだ。降ろさねえうちに持ってっちゃったの。―もう確信犯ですね。そのまま持って行ける。松沢:持ってっちゃったの、ねえ。宮下:布団も全部持ってっちゃったの。松沢:その時にねえ、子供もねえ、何にもね、泣かなんだわけ。宮下:コーリャン畑で一人でも泣いたらすぐまた来るじゃん。―もう襲って来るってわかったもんで外へ逃げて隠れて静かにしてたってことですね。宮下:そうそう。ほいであくる日に、帰っちゃってから行ってみたら、布団はみんな所々に…。松沢:それから何にもないから、草を刈ってきてねえ、敷いたり着たり、豚と同じ生活してた、ハハハ…。―草を着るんですか?宮下:草の中に潜るのよ。布団もねえもんで。ガサガサガササ。松沢:ハハハハ、ヤギ草ってねえ…想像もつかないわ。広いったって広いったってねえ、その湿地が、こんなね。こんなでかい束で刈って来ちゃあねえ、焚物にもしたんだけえど、それを男の衆が刈って来て、ほいてこんねにも厚く敷いて、ほいてみんなそこで生活してたの。ほいてねえ、朝起きるとねえ、虱とり。ほいてねえ、それからねえ、おにぎりがねえ、あの粟へなあ、馬鈴薯の混食、本当に粟なんか少ないわね、馬鈴薯が多くて。混食でねえ、ほいでそれをこんな風におにぎりに一ついただくんだけど、ほいでそれを食べちゃうと今度は匪賊が来るわけ。それは同じようだったね、毎日。―毎日物盗りに来るんですか?


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