満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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松沢:大和で、大和ならこっちへ行ったね。宮下:泉平は遠かったもんね。松沢:なんか、割合に覚えてないけどねえ、遠いことは遠かったに。―学校はどこにあったんですか?松沢:カーサントン(川山屯)とか言った。―それは本部に近いんですか?松沢:近い。カーサントンてね、ものすごく良い所だったちゅうじゃん。ほらもう平のなえ、うんと良いとこだったって。―同じ開拓団といっても、村がもう点在して別々にあるような感じ?宮下:そう。松沢:その途中にあの、満人のね、家がね、こうに…。―村と村の間に?松沢:一軒とか二軒とかあったに。―向こうは村を作ってるんじゃなくて、ポツンポツンとある?松沢:そうそう。宮下:だからわしらのそばにね、その偉いような人の家があって、そこのお弔いにはわし達行ったもん。泣き弔いでねえ、ワンワンワンワン…。人を頼んではワーワーワーワー。ほいだけど御馳走ものすごくしてくれて、食べちまうとまた違うもの持ってきてね。松沢:百何十種類も出る。宮下:二軒ばか行った。松沢:こういうお皿へねえ、あの料理がねえ、もう食べている間がないうちにどんどんどんどん運んでくるの。―美味しい料理ですか?宮下:美味しいよ。―向こうの現地人は満州人?蒙古人じゃなくて?宮下:満州人だった、あそこはね。―中国人てことですよね?宮下・松沢:中国人。―ちょっと話飛んじゃうだけど、終戦後に入ったのは蒙古だけど、富貴原の近くにあったのは満州人の集落だっていうこと?宮下:満人。―その人たちが泣いてお弔いをしたわけ?宮下:そう、ああいう衆はね。泣き弔いでワーンワーンて、そういう衆を頼むの、泣く衆を。松沢:わしゃあお弔いだか何か、結婚式だか何かに呼ばれて行ったような気がする。―けっこうそういうお葬式とか、結婚式に行ったり、来てもらったりする関係だった?宮下:ああいう衆はどっから来るか知らんけど、満人達いくらでも来るの。松沢:すごいものだに、ものすごいの。御馳走になりきれないわ。もうどんどんどんどん運ぶに。―それは日本の人が行っても別に同じように出してくれるの?宮下:同じよ。いくらでも…。―それは来てくれって頼まれて行くわけですか?宮下:多分頼まんよ、フフフフ。―勝手に行くんですか?宮下:ハハハハ…。松沢:呼ばれて行ったような気がしたけど、わしは。―御馳走出るもんで、どんどん行けばいいってこと?松沢:やあ、あっちの衆は親切だよ。―この間(公開聞き取りの時)も、関係はわりかし良かったと、終戦までは。松沢:わしねえ、本当にねえ、あの、挨拶がね、「おはようございます」とか「こんにちは」とかいう挨拶がね、「ごはん食べたかね」ちゅう挨拶。宮下:それが挨拶。松沢:「ニーレンネーシーワンラ」ちゅうんだよ。「ワンラメイヨー」ちゅうと…。―まだ食べてないって言うと…。松沢:来い来いちゅってね、「ライライ」ちゅって家の中に入れてくれてもう、一生懸命御馳走してくれるの。ほいでねえ、どんぶりへねえ、少なくなると、また持ってきていっぱい入れてくれちゃあねえ、ほんと食べろ食べろってねえ。―中国は御飯を空にすると足りないということでどんどん盛る。残しておくともういいというふうに聞いたことがあるが、そういうことなんですかねえ。松沢:だって日本人だったらそんなお茶なんて入れてくれないじゃん。よその人が来たってお茶入れないら。ねえ。そっちの衆はそういうところは親切ちゅうか何ちゅうかねえ。―懐が深いんですかねえ?松沢:そうだねえ。―他に何か思い出ありますか?楽しかったこととか。松沢:わしいっぱい思い出がある、ハハハハ…。―いっぱい語ってもらえればうれしい…。松沢:わし植田さんとねえ、鈴木さん、ほいであのう桐原さんのお兄さんがいたんだよ。一緒だったんだよね。


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