満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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―どこで亡くなったんですか?松沢:新京(※長春)。それがねえ、二人置いてきたのよ、お母さんと四歳だかいくらの子供をねえ。可愛そうだったなえ。うらやましいような顔して見てたじゃん、おばさんが。―新京に置いて来たってことですか?松沢:新京の前。コレラになる前。汽車に乗る前に。―チチハルで?松沢:もうねえ、歩けないじゃん。そうかっておじさんが負ぶってやるわけにもいかないし。置いて来ちゃった。ほいで二人置いてきたのえ。―お母さんと?松沢:小さい三歳だか四歳の子供。男の子ね。ほいでそうして新京の宿へ着いて、宿っちゅうかちょっとした、どういうとこずらね、あの人借りたじゃんね。家だか何だか、教室だか何だかしらんけど。―電車に乗ってずうっと一気に帰ってきちゃうんじゃなくて、一気にコロ島まで来るんじゃなくて、途中途中で降ろされて?松沢:トイレも行けれねえじゃんなあ。あのねえ、屋根が無いら、雨がジャンジャン降るじゃん、歌を歌えなんて歌どころじゃ、話も出来なんだねえ。歯がねえ、ガチャガチャガチャガチャって鳴ってるんだよ、ハハハハ…。宮下:よくね、あのおらえの息子たちがまあ、よく生きてきたと思ってね。ほいだもんでねえ、来てもねえ、一年生ぐらいになるまで、どうしたっていいふうにしゃべれなんだの。まあず困ったよ、栄養失調で来つら…。松沢:ほいでもねえ、連れて来たもんでねえ。この人ね弟がいたの。宮下:勝彦がね。松沢:ほいだもんでそのお陰。向山さんも弟がいつら、今伊澤さんが…。―ああ、伊澤清一さん?松沢:あの人もね、あの息子、お陰にねえ、あのひろ子ちゃんを連れて来たんだに。宮下:義勇隊に行っとって。松沢:ほいで植田さんだってねえ、おいさんがいたもんでねえ、貞子を連れて来たんだに。―男の人がいた家は小っちゃい子を連れて来られた?宮下:ほいだけえどねえ、歩くとこがあってねえ、歩かにゃあならんとこがあって、線路伝いに…。松沢:新京までなえ。宮下:わしはねえ、このくれえの麻袋を、ボロが入ってるんだよ、それをおぶってね、背負って、その上へ首うんばして来た。勝彦、弟はねえ、歩けない衆を担架で…。―安藤さんの?宮下:そう、安藤さん家はみんな担架で運んだもんで。松沢:何しろ男の人が居ないの。みんな兵隊に行ってて。ねえ、女っきりだった。宮下:新京で「兵隊になる人いねえかいねえか」って、ねえ、八路軍だか来て、「隠れてろ」って二人を…。―伊澤さんと勝彦さんを?宮下:兵隊にとられないように。―その前に蒙古の方には行ってたみたいだもんねえ。宮下:行ってたけどね。そこはねえ、本当にへえ、あの、勝っちゃとさあ、弟と、勝彦と、いっくらでも食べろ食べろってこのくれえのねえ、あっちはねえ、わしはこっち来てから教えてやったけえど、小豆の餡を…ねえ。―それはどこの話?宮下:蒙古。―蒙古の村の話?宮下:こうやって凍らせるの。松沢:だって零下何十度にもなるところだから。宮下:ほいだもんでねえ、こせえる時には、ほら、皮をこうやって餡子がスッと入るじゃん、凍ってるもんで。そうだに、わしこっち来てからみんなに教えてるんだけえど。ほいで包むにはキビの皮。中の柔らかいじゃん。そのキビの皮に包んで蒸かすの。松沢:またあっちの衆は巧者でねえ、女の子も。小さい子供が巧者だよ。みんな靴自分で作るんだに。宮下:わしも靴作ってこっちきてもいくらかしたよ。松沢:ほいでこんなねえ、四歳かそこらでお化粧するんだよね。また上手でねえ。―誰かの手記の中に、顔剃りが何かすごい気持ちいいって書いてありました。宮下:糸でピンとねえ。松沢:ほいでねえ、お正月にねえ、クーニャのねえ、きれいなクーニャの娘さんがいてねえ、ほいで今日お正月だから顔剃ってやるってねえ、植田さんと、あの小川さんじゃねえ倉田さん?一緒に居たもんで、顔剃ってくれたの。痛かったに、フフフ…。―痛かったけどきれいにはなった?宮下:そう。松沢:全然ねえ、カミソリあてたよう。巧者だよ、あっちの衆は。―ごめんなさい、ちょっと話戻っちゃうんですけど、えーと結婚した時は、こないだもちょっと聞いたんですけど、結婚式はえーと、宮下さんは合同って言ってましたね。


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