満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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白鳥:ちょっとわからないけど。ち、知野?―知野さん。白鳥:その時一緒じゃないね。知野さんは、その今朝一さんは一人いたっきりだで。―鈴木さんの弟さんも襲撃で亡くなったというふうに聞いてますけど。そのことはご存知ですか?白鳥:ちょっとわしはね、それは記憶はないね。一緒のとこじゃないと思うね。―夜襲撃に遭った時は、鉄砲玉が頭の上を飛んでいるのが良く見えたとおっしゃってますけど、昼間襲撃に遭ったことがありますか?白鳥:あるある。八平成二十一年十二月十五日松沢良子氏(南箕輪村大芝)宮下園枝氏(南箕輪村大芝)※一部編集―お名前と生年月日から。宮下:宮下園枝大正十四年六月三日。松沢:わしゃあ十三年八月二十九日ですけど。―ほぼ同じ、一つ違いですね。元々の本籍は?宮下:本籍は田畑。二人とも。―それじゃあ植田さんも一緒ですか。松沢:そう。御仲人様になってるだよ。―南箕輪の田畑ということですね。旧姓は?宮下:松沢だな。今は宮下だけど。松沢:私は小林。生まれたところはね。―松沢さんが宮下さんになって、小林さんが松沢さんになったんですね。まず最初に、開拓に参加した理由を伺えれば…。松沢:開拓に行った理由?まだ若くてねえ、全然いろいろ考えもなしに…行けっちゅうもんで、親が…。私は兄弟がいっぱいいるもんでねえ、女の子は一人ばか遠くへやってもいいっちゅうことで親があれしたんじゃないかと…。―旦那さんと結婚されてから行ってるわけですよねえ、なので結婚の話があった?松沢:うちじゃあねえ、先行ってたの。宮下:先遣隊で行ってたの。―松沢さんの旦那さんが?松沢:ええ。先行っててね、一年ばっかだと思うよ。ほいて…。―旦那さんが戻って結婚して?松沢:そう―家族をっていうときに、何かこう親戚からこうお見合いというか紹介を?松沢:そうじゃねえ、お隣でね、兄嫁さんがね、あのそれこそねえ、私をどういうことだか知らんけどお茶に呼んでくれるの。―兄嫁さんが?松沢:ええ。義兄さんは伊那電に出てて、天竜峡やらそこらじゅう…。兄嫁さんに見込まれちゃったんだよ、私が。ほいで政ちゃんとこへお嫁さんに来とくれ来とくれっていうことでこういうことになっちゃってねえ。―政文さんの兄弟っていうことですか、兄嫁さんが?宮下:そうそうそう、兄弟の嫁さんえ。松沢:兄嫁さん。(政文さんの)惣領の兄さんのこと。ほいでそういうことでね、うちでも大勢も、七人も八人もいるもんで、親も体格がいいで行けばいいっていうことで、深く考え無しに行っちゃったよ、若いもんでねえ。―二十歳くらいですか?松沢:そうそう。―それは政文さんはもう向こうへ行ってるのをわかっていて?松沢:うん、わかってたの。お隣だもんで。(政文さんと)年がうんと違うでね。ほいで子供の頃遊んだわけでもないしねえ。妹とよく遊んだんだけど、年が違うからそんな全然あんまり知らなかった。宮下:本当の畑挟んで隣。松沢:兄嫁さんがね、何ちゅうのかねえ…。―見込んでくれた…。宮下:見込んだのえ、体格はいいし、働くし。松沢:帰ってきてくれた時だってねえ、それはそれは本当に良くしてくれたの。兄嫁さんが。もう、着物くれたり…。―帰ってきてから場所があるっていうことは良かったですね。松沢:本当良くしてくれたよ。忘れられんは、それだけは。―宮下さんは?宮下:わしだって生まれた家は田畑なの。この松沢さんたちとは地類なのよ。松沢:そうなのよ、地類なの。―ご結婚してからお二人とも向こうへ?松沢:宮下:そうですね。松沢:ほいで行ったけどねえ、この人花岡っちゅうかねえ、泉平とうんと離れてたもんでねえ、割りええ行き来が無かったの。―花岡は話だと一番手前?


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