満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


>> P.60

白鳥:箕輪ばかりでなくて、ここら近辺の衆も一緒に行ったもんで、まだその時は合併してないもんで箕輪っていったってね。中箕輪はわからないし。どの範囲が箕輪町かわからなんだ。―開拓団について、いくつか村があったと思うんですけど、白鳥さんたちはどちらの部落だったんですかね。白鳥:よく名前は覚えてないけど、とにかく団の事務所のあった所。―事務所。本部部落ですか?白鳥:ええ。―安藤さんたちも一緒の部落でしたか?白鳥:いや、別だった。―違いました?誰か同じ部落で一緒だった人で覚えている方います?白鳥:えーと。西箕輪から行ってた女の人でね、なんちゅう人だったかな。一人一緒に居た人がいるけど。―そうですか。中箕輪の人、鈴木さんとか安藤さんとは違う村だったんですね。白鳥:向こうへ行って間もなく終戦だもんでね。他の部落行かなんじゃった。―白鳥さんは向こうでお父さんと一つのお家で住んでいたという事ですかね。えーと、(※写真を見る)こっちはまあ人なんですけど。これがあのー、当時の集落。白鳥:ふーん。―なんだそうですけど。こんな感じの家?白鳥:これはわし達のいたところの部落とは違うな。―ちょっと違いますかね。白鳥:わしたちの居た所は、こっち側に何にも無かったような気がする。―一列のような感じですか。白鳥:真中に事務所があったような気がする。―部落長さんは誰だったとか、そんなことはちょっと覚えていますか?白鳥:ちょっとわからない。えーと、東箕輪に桐原っちゅう苗字あるかね?―えーと、桐原は辰野。白鳥:辰野かね。―学校の先生をやっていた…。白鳥:あっ、その人がたしか向うでも…。―一緒でした?白鳥:先生をしてた。桐原って先生だった。それは覚えてるんだよ。―国民学校に行っていたので、校長先生が桐原先生だった?白鳥:校長だかそのことは覚えてねえけど、その先生から授業を教わった記憶があるんだよ。―当時国民学校だったということですね。白鳥:ええ。―他には、居た先生とかご記憶にありますか?白鳥:いやー、先生その人ひとりしか記憶がないけど。―そうですね。短期間ですもんね。白鳥:ええ。―生徒さんはいっぱい居たんですか?白鳥:生徒はけっこう居たような気がしたな。―じゃあ向うへ行ってから短期間だったのでまあ思い出というか、といってもなかなかあれかもしれませんけど、何か印象にある生活でもあれば…。白鳥:印象にあるちゅうのはね、今でも忘れんけど、安藤さんや鈴木さん達が先いてね、馬に乗ることが慣れていてね、わしらは体は大きいけど馬になんか乗ったことねえもんで馬の乗り方を教てやるっちゅって乗ったはいいけどね、初めて乗ったとこへもって、その衆は慣れてるもんでおもしろがってその馬の尻を叩いたら馬が飛び出しちゃってね、おっかなかった。それだけは本当に印象に残ってる。今でも。―一年とか二年前に行ってるので自分たちはもう乗りこなせているわけですね。白鳥:そうそう。―学校へも馬で通った?白鳥:いやいや、わしのとこはすぐそこに学校があったもんでね。―学校のある村だったわけですね。わかりました。白鳥:色々知ってる衆、年配の衆は皆亡くなっちゃって。―国民学校へ行ったとき、高等科の二年生は白鳥さん一人だったんですか?白鳥:一人っきり。―そうですか。ほいじゃあ安藤さん達はその国民学校より下の…。白鳥:確か鈴木さんはね、一級下じゃなかったかなと思うんだよ。―鈴木さんは何年生まれでしたっけ。七年だったかな。じゃあ一級下ですね。白鳥:確か一級下だったと思う。―わかりました。多分渡られてすぐに終戦になってしまったと思うんですけど、終戦を知ったのはいつ頃だったんですか?白鳥:はっきり知ったのがわからねえんだよ。どの時点で終戦だったか。自分、今思っても、ここが終戦だったなちゅうことが今だにわからなんでいるんだけどね。ほいでソ連と参戦したと思う時分に、いつも北の方で鳴らねえ大砲の音がどんどん聞こえてきただよ。なんだ、変な方から大砲の音らしいものが聞こえてくるなーちゅうことが…それがどうもソ連の参戦じゃあなかったかなっていう気がしたけ


<< | < | > | >>