満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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白鳥:えーとね。福与から知野今朝一さん。その人は亡くなってりゃしないかな?―そうですね。亡くなられていますね。他にはどなたかいましたか?白鳥:えーとね。今の福島から福与へ嫁って来た人がいてね、その人の旦那は向うで兵隊に行ったのかな?奥さんになる人が一緒に向うへ行ったんだけど。―何という苗字の方ですか?白鳥:こっちに来たのは白鳥だけどね。白鳥資重さんていう…。―その方も富貴原ですか?白鳥:いや。そのうちへ嫁ってきて、旦那が先に行ってたもんで、向うへ渡るのがわしらと一緒だった。―資重さんて鹿垣の南小から上がっていく?苗字は白鳥さんですか?資重さんの奥さんと一緒に行ったんですか?白鳥:いや。資重さんのおじさんに当たる人だね。その人も亡くなっちゃったんだよ。白鳥満雄っていうんだけどね。字はどういう字を書いたかな?―白鳥満雄さん。これは役場のほうに引揚者の調査表っていうのがあって、それをちょっと見させていただいていまして。悦子さん、水口悦子さん。白鳥:福島の人だった。―福島出身なんですね。その時にお父さんの儀八郎さんも一緒ですか?白鳥:ええ、一緒です。お父さんはね、その前に向うに行ってて、わしらやその衆をまた連れに来た。―一回渡満してまた家族を呼びに来て、その時に洋治さんも一緒に行ったということですね。白鳥:ええ、一緒に。―儀八郎さんは十九年五月。満雄さんもちょっと先に行っていたんですかね。白鳥:ええ。行った。―洋治さんは二十年だったんですね、行ったのは。六月ですね。他には…。白鳥:ちょっとね。あんまり…。―白鳥さんご自身の生年月日は昭和六年四月七日でよろしいですかね。白鳥:ええ。―お父さんの儀八郎さんは副団長さんだったと伺っていますけど、どういう理由で白鳥さんのお宅はあちらへ行かれたんですかね。白鳥:あのね、うちのおとっさんはね、満鉄にはあるかいてね。―儀八郎さんが満鉄に勤めていた?白鳥:支部隊にいて向うで除隊して、それから満鉄に入ってね、ずーと満鉄にはあるかいて。―軍隊にいて、満鉄にいた?白鳥:ええ。おとっさんの弟がね、それはもう最初っから満鉄に入っていて、なかなか内地にいるよりか満鉄のほうがいろいろ条件がいいから、一切家を引き揚げてという計画で。―叔父さんにあたる方がですか?その方は向こうへ骨を埋めるつもりで行ったという事ですね。お父さんはどういう理由で?白鳥:支部隊を除隊して満鉄に入って満鉄の社員で、はあるか居たけど。何でもわしらの子供の時だった。話を聞いている頃はまだ中学一年くらいだったもんでね。すべて貯金やなんかしても、内地に置くよりか満州に置いた方が利息がうんといいだわ。そんなこと言って家の財産みんな処分して、その金をそっくり持って向うへ行くっちゅう事を言っていたんだよ。―お父さんもということですね。白鳥:ええ。それで終戦がもうすこし遅けりゃね、お袋もわしの兄弟もみんな向こうへ来ちゃうっていう、計画的にね。―なるほど、段階的にね。お父さんが行って洋治さんが行かれて、次はお母さんで…。白鳥:全員で。―なるほど。満州の方が生活がいいというかそういうことですね。わかりました。最初っからお父さんはもう副団長さんということで行かれたんですかね。白鳥:通訳かなんかをしてたくらいだもんでね。―満鉄やっていたくらいなんで話ができるんですね。白鳥:うん。それができるっちゅうことでね。兵隊の経験もあるし。―いろんなこと知ってるのでということで?白鳥:満州に明るいっちゅう事でね、なったらしいんだよ。―なるほど、わかりました。洋治さん自身は二十年の六月に出発して、どちらから?白鳥:新潟から。新潟から行くっちゅうわけで新潟で船に乗ったけど、夜潜水艦が日本海に入ってるっちゅう情報が入って、それがずうっと南下して舞鶴から向こうへ行ったようだけどね。―新潟がだめで舞鶴から。舞鶴から北朝鮮?白鳥:大連。―あとは鉄道か何かで?白鳥:渡航した船はわし達の船が一番最後らしかったね。その後みんな撃沈されたりして向こうに着かなんだようだ。―市川富美子さんという人は一緒ではなかったですか?市川さんという家族は。確か二十年の五月だか六月に行ったって書いてあったんですが。白鳥:わしは小さかったもんで…。―大勢いました?


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