満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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戻ってきて聞いたという事ですけど…。鈴木:終戦は十五日だから十八日ぐらいに聞いた。その次の晩あたり襲撃に遭った。―本部に襲撃があったということですか?鈴木:我々は本部だから。他の人も他の場所で遭ったと思うよ。―村ごとにということですか。鈴木:そう。俺が覚えているのは、向こうの人が日本は負けたと言って馬に乗って知らせに来た。現地の人が。―それが十八日ですか。鈴木:そうそう。記憶にある。―花岡の人達も本部に集まったという話もありますが。来ました?鈴木:皆本部に集まったのかな?安藤:大勢で逃げた。鈴木:何しろ全部で逃げた。よくわからないが本部に集まったと思う。―逃げるときに一回伊南に集まったとありますが?鈴木:こっちが伊南に行ったのか伊南がこっちに来たのか。伊南は奥だでね。―天草の開拓団はどっちにあったんですかね。天草はジャラントンの近くですか?鈴木:いや。天草からチチハルへ出たんだでね。引揚命令が出たときは。―阿栄旗の役場が天草の辺りにあったのでそこへ皆で集まったとある。その時に手記によると本部の前を通って、花岡の前を通って天草へ行ったと…。鈴木:箕輪の人も一緒に来た。―一番手前が花岡ですね?花岡からジャラントンへは行かずに天草の方へ行った?鈴木:皆忘れたな。忘れるようにしてきた。家の人達にも言わないし。―本部の前を通ったら食糧庫が燃えていたという話も聞いたが…。鈴木:どうだったかな。なにしろ親から離れないように逃げるっきりでね。それっきりだった。―終戦で各村々の段階で襲撃に遭ったという事ですね?まだ富貴原に居たときに。鈴木:向こうの人たちは裕福ではないから、ほんとうに着たきりの人達だったから、その人達が物盗りに来た。日本人の服とか、衣類を。―大和は騙されて、避難している間に全部盗られたということも書いてありましたが。鈴木:本部はそういうことはなかった。安藤:あまり高くは無かったが、土の壁がぐるぐるっと囲ってあった。鈴木:山を越さないと住民の家は無かった。―本部は基本的には真ん中にあったんですか。鈴木:そうだね。―手前が花岡で。本部からはだいたい何処へでも行けたんですか。鈴木:そうそう。連絡にね。安藤:本部から何処の部落も同じくらいの距離にあった。本部の周りには向こうの住民の家はなかった。―本部の周りに他の部落があり、その外側に現地の人の家があったということですか。鈴木:そうだね。―本部で他に誰か一緒に逃げた人はいませんか。鈴木:覚えているのは植田さんと、倉田さん、松沢さん、福与の白鳥洋治さん。―天草へ逃げるときに、夜天草まで行ったと聞いていますが…。鈴木:夜通し歩いた。安藤:何処を歩いたかわからないが、鉄道の跡を歩いたり、まくわ瓜を出してくれてそれを食べた記憶がある。何処だか忘れたが。―鎌を持った現地の人がいる所を通ったという事も書いてあるが。鈴木:鎌だかフォークを持った人がいた。荷車に荷物を積んであるので、それで来たのかな。なにしろ子供たちは車の中に入ったきりだし…。―荷車みたいのですか?鈴木:荷車。馬に引かせる。それに荷物を積んで馬と一緒に逃げた。安藤:白樺で作ったようなものだと思う。―天草の所で学校の校舎に富貴原の人達が集まった?安藤:俺は、鉄兜で飯を炒ったことを覚えている。―着いた日から襲撃があった?鈴木:着いた日かはわからないが、二回襲撃に遭ったのは、覚えているのは夜。―一回目は九月に夜襲撃があったとありますが…。鈴木:そのとき弟がやられた。三番目の。―光男さんですか?鈴木:あの時は大勢の人がやられた。うちじゃあ弟だけだが。―夜の時ですか、昼ですか?鈴木:夜。―夜は九月ですか?鈴木:わからないが、夜襲撃に遭ってきび畑に逃げ込んだ。―もぐり込んで頭の上をびゅんびゅん弾が飛んでいるところを朝までじっとしていたと手記に書いてありましたが。九月の夜、月遅れのお盆をやってその夜襲撃に遭ったと書いてある。鈴木:それは覚えていないな。なにしろ襲撃に遭ったという事だけ覚えている。それだけは。弟がそばにいて伏せていたが、機銃掃射で俺には当たらず弟に当たった。並んでいたのに。


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