満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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さん、妹のあや子さん。光男さんとあや子さんは…。鈴木:亡くなった。―向こうで生まれたんじゃなくてこっちから皆で行っているんですね。それから山川信次さんが、鈴木さんの家族ということで行っていると聞いたが…。鈴木:いたかもしれないな。旅行気分でよく覚えていない。新潟から行ったことだけ覚えているが。ジャラントン、牡丹江を経由っていう事は覚えている。牡丹江で警備隊に注意されたことを親父さんたちが言っていた。―日本の警備隊ですか?安藤:当時は関東軍がどうのこうのって言った。鈴木:牡丹江を見てはいけないので真っ暗にしてあった。―機密でもあったんですかね。鈴木:ここは重要だと言った記憶がある。だから注意された。―お父さんがですか?鈴木そう。子供が見たくて開けたか…。―ジャラントンからは開拓団の人か誰かが迎えに来てくれましたか?鈴木:八十キロくらい現地まで離れていたらしいが…。安藤:俺が覚えているのは、鉄砲を持った兵隊がトラックに乗った。途中匪賊にやられたらいけないから。町へ食べ物などを運ぶに昔のトラックで運んだのを覚えている。鈴木:木炭車みたいだった。―開拓団の先に行っていた人が迎えに来てくれたってことはありませんか?歩いては行かないですよね。鈴木:ええ。歩いては行かなかった。トラックか何かで行った。―安藤さんのお宅もお父さんお母さん弟さんの四人で、同じルートで?安藤:別ということはないから同じルートだと思う。―安藤さんのお宅はどうして入植したんですか?安藤:さあ。何で行ったか知らないけど、一花咲かせようと思って行ったんじゃないかと思う。鈴木:大概の人はここでは無理だといって、うまく勧められて行った人が多いのではないか。安藤:不作だったから。―役場の人達が勧めにきました?鈴木:役場じゃなくて、福与の田中二一さんが勧めていった。西箕輪の生まれではないかな。それでどうだと勧められていった。―行ったときに家族以外に誰か一緒でしたか。さっき山川さんの話が出ましたが、他に誰かいますか。安藤:岡さんがいたな。―岡正さんと一緒に行ったんですか、じゃあ一番最初ですね。鈴木:岡さん、植田さん。安藤:小笠原さんてよく言ったな。―お二人とも早い方ですよね。鈴木:そう。十八年の後の方で結構来たでね。いく軒か。―向こうへ着いて、どちらにお住まいでしたか?鈴木:本部。―お二人とも本部ですか?本部って最初の本部と二番目の本部とありますよね。鈴木:一番先本部から花岡へ移って、それからまた本部に戻った。それからずうっとそこにいた。―どうしても位置関係がわからない。ジャラントンから来ると最初に花岡ですか?鈴木:花岡で本部。―手記によると六部落あるとあります。本部、泉平、花岡、旭、瑞穂、大和。本部には倉田作子さんとかもいましたか。鈴木:あの人は事務だ。箕輪の役場にいたで。―大和は植田さん、野溝さん、小笠原さん。花岡は岡さん?鈴木:いや(岡さんは)、本部にいた。奥さんも。―本部は村上部落と言っていましたか?鈴木:団長の名前だ。―第一部落とか第二部落と出てくるが。鈴木:本部が第一ではないか。―一番最初に入植した人がいたところは、学校になっていますよね。鈴木:皆最初は本部に行って、それから振り分けするもんで。俺も最初は花岡へ行っていた。それから本部に引き上げていったというか呼び戻された。岡さんがいて安藤さんもいた。―終戦までいましたか?鈴木:居たと思うな。安藤:負けたとか言ってそこから逃げ出した。―本部から?鈴木:それでどこかに集結した。花岡に集結したのかな。安藤:どっかの人がぞろぞろ来たのを覚えている。鈴木:伊南の人だと思う。―終戦を知ったのは、手記によると十五日に兵隊で入る人達が、向こうで聞いてきて


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