満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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みんな:そうそうそう。―富貴原ではなかったんですか?みんな:富貴原でもあった。松沢:(富貴原では)家に火をつけてみんな燃やしてしまった。倉田:山へ逃げた。植田:その留守に目ぼしいものはみんな持って行ったわけ。倉田:富貴原が第一回目(の襲撃)。松沢:青酸カリをみんなにくれて山へ逃げた。こんなにでっかいヤカンに水をいっぱい汲んで。植田:それを飲むつもりでいたから。(結果的に)飲まなかったけれど。松沢:もうちょっとで飲むところだった。本当に。もう死んだと思ったよね、みんな。そうしたら伝令が来て「飲んじゃいけない」とか言ってね。それで伊南のところへ避難した。―富貴原から伊南へ行ったのですか?松沢:そうしたら夜に、大和の住宅にいっぱい火をつけて燃やしてしまった。―大和の集落が放火されたのですか?松沢:そうそう。見えたよね火が。―小笠原さんは大和?小笠原:大和。―植田さんも大和?植田:大和。―松沢さんは?松沢:私は泉平。―倉田さんは?松沢:この人(倉田さん)は本部。旦那様は本部の事務をしていた。倉田さん(自身)も事務をしていた。倉田:経理経理。松沢:今だったら役場の人?倉田:役場。松沢:色々思い出すねえ。おいちょっとやだなあ、ははは(笑)。―富貴原で襲撃されて、それで伊南へ行ってもまた襲撃が?松沢:伊南へ行って、それでまた戻って来たの、大和へ。植田:その留守に色々持って行かれてしまった。いい物は。倉田:全部持って行かれちゃった。松沢:火事にならなかった家が幾件か空いていて、そこに三日ばかりいた。―大和にですね。松沢:それに赤ちゃんは横になれないの。おぶって寝ていなければ、いざという時にすぐ逃げられない。本当にひどかった。本当に。―富貴原では大和に集まって、そこから伊南に行って、また大和に戻ってきて…。松沢:そこから天草へ行った。―大和にいる時も伊南にいるときも、そのたび襲撃があったと…。松沢:そう、あったの、あったの。―天草でもまた襲撃が?倉田:何しろ財産があるうちは、裸になるまで来た。植田:お金を持ち出せばよかったけれど、そんなことは思わなかった。死ぬことばかりで青酸カリをもって…。松沢:そうそう、死ぬ気でいたしね。―青酸カリはどの段階で?松沢:最初の大和でみんな集まっていた。そうしたら匪賊が来たということで、山へ逃げろということで、ヤカンと青酸カリを持ってみんな飲むつもりでいた。わたしはもう飲んだような気でいた。植田:本当にそう。松沢:そうしたら、「飲んじゃいけない、伊南の方へ避難しろ」とか言って…。小笠原:あの時は大和神社といって大和部落にあって、そこに避難して、そこから…。松沢:何しろ天草は毎日ひどかった。朝飯はこのくらいの小さいおにぎりに粟・馬鈴薯。朝と夜はこれをくれた。昼は満人の畑へ行って…。倉田:畑に収穫の残物があり、これを拾ってきて鉄板で炒って…。―現地の人の畑から?倉田:そう、現地の人の畑へ行って大豆やら小豆やら…。松沢:白菜のはっぱとか…。倉田:それを鉄板で炒って食べた。そして芋だか粟だか何だかわからないようなおかゆのようなものを一日に一つか二つか、朝と晩それだけ。松沢:お昼は、たくさん飼っていた犬を一匹ずつ殺して犬のスープ。方々で一軒ずつ犬を飼っていた。その犬がついてきていて、それを殺して、お昼に白菜の葉っぱを野菜として、それを肉とスープを、缶カラやらフライパンやらで…。何しろ食器がなかった。盗まれてしまったので。倉田:富貴原郷開拓団は天草へ全部集結した。―その後は?松沢:団にお金がありそれで生活していたが、その後はチリジリバラバラ。倉田:十二月まで(天草に)いて、いよいよ寒くなって生活できないから満人の家


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