満州開拓 富貴原郷開拓団の記憶

満州開拓-富貴原郷開拓団の記憶 - 箕輪町郷土博物館開館40周年記念冊子 - 箕輪町図書館蔵書のデジタルアーカイブ


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かったが、伊沢君が急に病気が悪化した。幸いにも入港した時に病院の先生が乗り込んでいたので手当てをしてくれ、一命を取り止め胸をなでおろした。いよいよ上陸。日本の土を踏みしめ喜び泣き、草木を見ては感激して泣き、皆んな涙で顔はクシャクシャである。とにかく日本へ着いたのだ!着物も無く、四国の人達ではないが乞食同然。又食べる物無く、家に着いて母は一番先に言った言葉は「良くこれまで痩せて帰ってこられたよ」でした。皆んなで家族同然に仲良く力を合わせたからこそ無事帰れたのです。体有って物種ではないが、今では神奈川県三浦市で、義母・妻・二十五歳の長男・二十二歳の長女と五人家族で幸せに暮して居ります。未だ帰れないで居る方々の一日も早く帰れます様祈っております。昭和五十八年一月十二日記す開拓行一大陸色に焼けついた五体がっちり先駆者の光に燃えて陽があがる広い舞台だこの朝だやるぞどこまで根限り二花嫁部隊今日早やもんぺりりしい野良仕度駒よいななけ雲千里骨を埋める覚悟なりや住めば都よ北の空―あとがき―終戦から三十七年過ぎた今日でも、富貴原会は毎年一回の総会が続けられています。これも互いに死線を越えて祖国へ帰って来た者同士の唯一の楽しみであるからと思います。今年も二月に総会が開かれて四十名近い会員の出席者が一同に会し、大盛会に行われました。その席上「満州開拓の思い出」を作ったらとの希望があり、その編集に取りかかってまいりました。多数皆さんからの投稿もあり、又向山一雄氏からは貴重な資料も提供してもらい、尚地区役員の方々の絶大なご協力も頂き、この点深く感謝の意を申し上げます。印刷は個性を生した自筆そのままの安価のコピー印刷に致し、これも宮下勝美君に依頼し、大変なご協力を頂きました。深く感謝の意を申し上げます。尚県会議員清水重幸先生には富貴原会をご理解頂き、序文までお寄せ下さいまして誠に有り難く、厚く御礼申し上げます。投稿なき方もありましたが、この点少々淋しさを感じましたが、この文集が過ぎしあの日の思い出と残し、後世に何らかの糧となるならば甚だ幸いと存じます。昭和五十七年十二月富貴原会会長平松俊彦副会長山崎正一同倉田作子第一次勤労奉仕隊と(昭和18年5月)〔向山ひろ子氏提供〕


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