箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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て、大きな鏡餅を作り、一斗析に入れて月の出る前に大根や野菜と共に供える。この晩は部落によっては子供達が柿盗人をしてもよいことになっていて、昼間のうちに近所の甘柿を見付けておいて、宵の口に数人で盗みとり、皆で分けて食る。とられた家の人が怒ると家内に病人がでるといわれ、この日ばかりは怒るわけにはいかなかったとの風習もあった。秋の神社例祭町では、木下を除き天竜川東が秋祭り、西が春祭りであって、その年の様相によって、芝居、素人演芸、長持行列が行なわれた。活十;九十日夜,旧歴の十月十日山の神祭りで餅を揚いて藁っと二つに入れて山の神隠供え、他の人の供えた餅と交換して帰る。一つは山に行く人が食べ、一つは馬に食べさせると、山に行く人馬の難をのがれると言われている。十七・五・三の祝十一月十五日に七歳、五歳、三歳の子のある家では盛装して神社に参拝する。二十十一月二十日恵比寿講。おいベす様が出雲の国にお立ちになり、各家庭では「お焼き」(米の粉で中に小豆あんを入れたもの)Rを作って祝って送り出し商家においては「恵比寿講大売出し」で大いに景気付けをして販売合戦が行なわれる。十八


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