箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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俗十十九八七春の彼岸三月十八日から二十四日までの七日間をい、二十一日が彼岸の中日で春季皇霊祭として国の祝祭日と定めらL民れており、葬儀があって初めて迎える家では「初彼岸」といって、墓参をする。この彼岸中には先祖の法事をする家、がある。戦後は「春分の日」と改められた。四月上旬農耕馬を多く飼育されていた頃は各区には血下げ場という場所があって、日を定めて馬を引いて集り、獣医又は上手な人によって、馬の上あごを切り血を出した。四月八日各寺院で釈迦降誕会(花まつり)が行なわれ、甘茶の接待が行われた。五月五日端午の節句。男の子の初節句で長男の生れた家には、嫁の生家から家紋を染めぬいた武者のぼり、鯉のぼりが贈られ、にぎやかにこれをたてる。最近は五月人形が贈られて座敷に飾られる。又家の軒先へよもぎしようぶを二、一二本づっ三ケ所に分けてさし、風呂にしようぶを入れしようぶ湯をたてる。六月中下旬明治の中頃まで部落の若い衆が総代(区長)様に庭に大きな門松を立てると、総代は村中に「明日農休み」であることをふれて農休みを行なった。その後は農繁期の一区切りを見て村の掲示板に張出した。


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