箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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十一日!鏡開き飾った鏡餅を雑煮にして食べる。十三日小正月の餅つきをして供餅を新しく替える。小正月は、農業に関係する耕作用具、収穫用具、を主にして供餅を飾る。年神様には餅を切って稲穂五本を作り、米粉で大きな繭玉を三ツ作り桑棒にきして飾り付ける。O天井にも米の粉をねって作った繭玉と餅で作った稲穂を柳かみずぶさの枝にさして飾付ける。十四日小正月の年取りは晩に、大正月の年取りと変わりなく行なわれるが、柳で作った箸を使用する。年取りが終ると子供達はぬるでで作った鳥追棒を叩きながら、「ぼんだらばやし」の廻りをホッポシャ、ホッポγヤきょうは、次郎太郎の鳥追だ俺も一つ追ってやれと唄って廻った。夜に入って厄年(男二十五才四十二才女十九才三十三才)に当る者は日常使用している飯茶碗に年の数だけの銭を入れて、道祖神に投げつけて後を振り向かずに帰宅する。友人、近親の人を招いて厄落しの宴を行う人もある。塩尻片丘の牛伏観音へ参詣する人もある。十五日小豆粥を朝飯として食べる。この粥を作る時にぬるでの皮をけずり、二つ割にして餅をはさんでかきまぜるための粥かき棒を作り、その棒に小豆、米の付着状態を見て稲作、畑作の吉凶を見た。十六日「オセエニチ」で徒弟従業員は勿論のこと一切の仕事は休みとなる。二十日朝食がすむと、年神様の棚をおろし、繭玉、供餅、ホンダレバヤジ紘一す正月の飾付けは一切片付けられて村の辻で、子供等によってにぎやかにどんど焼が行われ、家より持参した繭玉、供餅をこの火で焼いて食べると「虫歯や病気にならない」と言われ、正月最後の行事として子供は盛大に行なった。


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