箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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て、厄年の者は、自分が使っている茶わんに自分の年の数だけ銭を入れ、道祖神へ投げつけに行く。茶わんがわOれると厄が消えるというもので、投げたら後をふりむかないで家に帰らなければいけない。投げ銭はこどもたちが拾って、持ち帰らずに使ってしまう。菓子でも買って使ってしまうと、それで厄がはれるといわれている。四十二才の男には、その夜東筑摩郡牛伏寺の厄除観音へ厄落としに参詣する者が多い。また、二十日正月までの聞に親類縁者を招いて厄落としの宴を催したり、同年の者が芸人を頼んで、義太夫とか浪花節等を公開して村人を楽しませ、厄落としをする風習もあった。一月十五日十五日粥ふつう餅を入れて粥をつくるが、小豆粥をつくるところもある。粥かき棒といって、ヤナギかクルミの一一一十四程の棒の、(山開きにとってきておく)元の方に少し皮を残して先を四割りにしたものに、餅をはさんでかきまわす。この棒は、二十日のどんど焼にもやすが、首代の水口にもさした。(下古田)長岡年中行事すすはき一年中のすすを払い除くための掃除であるが、今では春秋の清潔が行なわれるので、大方の家庭では行なわれていない。暮れ勘定昔は盆と暮れにすべての勘定をした。商庖からの掛買いなど一切年内に勘定しなければならないので苦労が多かった。'正月の松飾り師走の二十五日から三十日迄に、山から若松又は枝松の三階から五階のものを切り、切口より十五糎位皮をむき取り(足を洗うともゅう)家に持ち帰える。部落によっては榊(そよ木)を使う所もある。これを門口に背丈位のものを立て〆縄を飾りつけ、その外倉・物置・外便所・畜舎・狭い川・祝殿等に藁であんだ「おやす」に御幣をつけて飾りつける。家の中には年々真新しい(長さ二米厚さ一一一糎巾三十糎位)板を買って下座敷か居間へ頭上より高く天井から新縄でつるす。つるした縄に松を左右に結びつけ〆縄を張る。その中央


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