箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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O厄おとし二本つくる。一月十四日O十四日年「百姓の年取り」といって、早くとる程野良仕事が進むとかで、主婦は未明に起きて献立の用意、主人は前日用意したお供餅を、歳神様、諸神様、仏壇などに、また、くる穂、粟穂、ホッポンャ、十二かき、繭玉、粥かき棒などを、各神仏に供える。十二ガキは、このほかに居宅、土蔵、厩、厄おとしがおこなわれる道祖神O物作り便所、物置の入口へ立てる。木戸入口へは、籾穀にコショウ(とうがらし、なんばん)を入れ火でむす。菊の枯れたものを入れることもある。諸神様、仏様にご飯を供へた後、家族揃ってブリの粕汁、ダイコン、ササゲ豆のトウフ汁等で祝酒を扱み、ヤナギの箸(八日の山開きの日作っておいた)でごはんを食べる。この日恵比寿様に供えた箸をとっておき、畿をひくときや分山(苅敷山を分けること)のときなどにそれで食べていくとうまく当るという。(下古田)作道具を洗って臼の上に置き、それにも年を取らせる。主人と学童が書く。中折紙の中央に「万物作」と大書し、その両脇に「人馬長久」、「五穀豊穣」、「金銀沢山」、「家内安全」などと書く。書いものは流し元、かもいなどに張る。男子二十五才と四十二才、女子十九才と三十三才等は「大厄」といっ


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