箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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神社の境内には軽業、見せ物などかかり、参詣者や見物客で埋め尽された。商庖では思い思いのダシを飾って輿を添え気分を盛り上げる。(今も続いている)当時この木の下市は、大道商人の数、近郷近在からの人出の多いことでは、郡下第一といわれ、松本の飴市と並び有名であった。子ども達も家人について行くが、村に残された子どもたちは、午後三時ごろから村下の堤の土手に市の帰りをど待ちうけて、「市ん人いちん、土産をくれにや通さんぞ」といって、四、五人腕を組んで道を塞いだものだ。(中曽根)一月十三日繭玉米の粉をねり、それをゆでてから繭形か団子形の繭玉をつくる。それを山初めに伐っておいた木の枝にさし、石臼をすえてたてるか、天井へ吊すかする。たわわに実った繭玉は、今年の繭の豊作をうたうように、家の中には、豊かな気分が満ちあふれる。歳神様へ大きい繭玉三個、諸神様へも小さいのを供える。蚕玉様へは、大繭玉十二個を桑の校にきして供える。なりきぜめホソダレ様O繭玉をゆでた湯は、子どもの一人が鈷を持ち、屋敷内の果樹にむかつて、「なるかならぬか、ならぬと伐るぞ」ととなえ、一人が「なります、なります」といいながら、湯をかけて廻る。稲穂スス竹の先に、餅のきれはしを四個さし、(こ


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