箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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OOOところにより入れるものは違ったが、ダイコン、一シジン、菜等七いろの野菜を入れた粥をつくり、朝食とした。七日正月この日までを大正月とも松の内ともいった。門松など外飾りをはずし、歳神様の供え物や諸神様の松飾りも下げた。歳神様の松飾りだけは残した。きょうで大正月の行事が終わるので、夕食にはソバまたはニカケをつくり神仏へ供える。燈明もあげる。-月八日鏡開き大晦日の年取りに歳神様や諸神にあげたお供餅を下げ、これで雑煮をこしらへ、神仏へ供えたのち朝食に食べる。山初め主人または成年の男子が、二日の仕事初めになったグサユイソと鋸、鋭、それにお洗米を白紙に包んで持ち、山の松の木一、二本を伐り、切り株の上にお洗米をのぜる。伐った松は薪の長さに切り揃えて四把にたばねて持ち帰り、家の戸口正面に打った杭の周りに立掛けてクサユイソで結束する。その真中にソヨギ、ヤナギ、クルミ(下古田)、ツガ、ヒノキ、サワラ(中曽根)などを二Mぐらいに切ってきてきし、ホンダレ様(本垂一様心を迎える。またアワ穂、ヒエ穂といって、親指ほどの太さのヤナギを二五仰ぐらいの長さに切り、元の方三∞ほど残して皮をむき、一それをホンダレ様のソヨギなどに校をさす。これを十三日に天井から下げるところもある。昔はどこの家でも、こうしてホンダレ様を迎えたが、今はまったく少なくなった。この日には、小正月の箸に用いるヤナギの梢を切る。ホッポイヤ(鳥追棒)、十二がき、粥かき棒、繭玉を飾る栂、ヤナギの木枝を切り、持ち運んでおく。一月十一日木の下の初市。この日は木下南宮神社の初祭りで、大道市が聞かれ、道の両側にぎっしり屈が並び、昭和の初期ごろまでは、通行にも困難なほどの人出で賑わった。


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