箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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麻などを吊した。供え物はお供え餅、お洗米にニンジン、ゴボウ、コンブなどで、それに草ゆいそ(章一などをしOOばる縄)を必ず供えた。お神酒や燈明もあげる。燈芯は、暮れ市では忘れられない買物の一つであった。みたまさま御霊様御霊様のごはんは、お膳かお盆に中折紙を敷き、お年取りのご飯を山盛りにし、かやかススキで作った箸を三ぜん添えて供える。そのご飯は、後でおじゃにしたり索、ざらしにして食べた。暮れ市暮れの二十八日に、昔は松島と木下に一年交代で市がたつた。大正ごろからは、毎年松島で行なわれるようになった。商庖のほかに、よそから出張してきた商人が道端に雨戸などを置いて露庖を聞いた。年取り用のさかな、正月用品、はき物、衣類、日用雑貨類から、いかがわしい家庭常備薬のようなものまで、あらゆる物が売られた。きょうで二学期が終わるこどもたちは、両親に連れられて、市へ行くのが楽しみで学校からとんで帰る。市は、山方から出かけて来た人たちで賑わい、「市まけた、市まけた。」という威勢よい呼び込みの声や客のひやかすわらい声で、終日活気に溢れる。回のできもよく、繭値を高かった年は年取り用のブリも特別大きく、重そうにこれをさげて、同級生と見かわす子供等の笑顔は明るかった。こうして人々は年取や正月用品をととの〉え司令。JA年取り用のさかなサケ・ブリ・タックリ・カズノコ、ヵヒモ、タコ、ィヵ、スルメ、イワシ、サンマ、酒粕など正月用品中折、水引き、げた類、たび類、障子紙、下着類、年賀用品など年取り三十一日の昼にする。朝年取りをするところもあり、都合で晩に行なう家もある。年取りには遠方の学校や勤めに行っている者も帰り、家内一同揃ってする。昔は、ていねいの家ではまず歳神様、氏神様に、膳の上へ白紙を敷き、ヒキパチへご飯を盛り、頭付きのイワシを添え、木箸をつけたものを四膳並べ、切火といって火打石で清めた後各二膳を供える。神棚、恵比寿大黒様へは、小ヒキバチにご飯、イワシを添えて各一対供える。


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