箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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松正月の準備すす掃き「すすはらい」といって、十二月半ばごろから、随時都合のよい日に行なう。竿の先に笹をつけたほうきで、天井や軒先の煤を払う。鍵筒、火棚の縄も、ひどく汚れたものはこの時取り替えた。餅っき餅は、暮れの二十八日か三十日についた。二十九日の餅っきは、「二九餅」(福餅)といって緑起がよいとする家もあったが、多くは「グモチ」といって嫌った。朝暗いうちから、家々から餅をつく音が快よく流れ十日以上つく家もあった。最初の臼から「お供餅」なをとる。歳神様へ供えるものは特別大きくし、他の神様のものは少さくした。先祖様(仏だん)、床の神(床の間)、荒神様(神棚へ一諸)、恵比寿様、大黒様、水神様(勝手の流して厩の神、土蔵の神等の諸神に供えた。臼の上に鍬などの農具を洗って置き、そこへも餅を供える。計十二重ねの供え餅をとると、最初の一臼はそれで終わってしまう。松迎え「お松伐り」といって、普通餅っきの日に山から採ってくる。三階か五階の真すぐに伸びた芯松を選んで切り、「足洗い」といって、一の枝の下方の皮をむいてもってくる。昭和の初期ごろから、造林思想の普及するにつれ、枝松を使うように変わった。しめなわ門松門松は、入口の両側に一本ずつ立てた。戸口の上には注連縄を張り、それにトコワヵ、ケエダレ、ミカンなどをきした。歳神様歳神様を迎える吊し棚は、玄関の聞か居間の東方に設け、両端にお松を立て、それに注連縄を張る。注連縄には中折紙やみかん、干柿、


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