箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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者、人力者でくる者などさまざまであった、が、後には自動車に変わった。花嫁の服装は家によって一様でないが、ふつう着物は大ぶきのかさねぎに打掛、白無垢に白の打掛綿帽子だった。その後留袖に角かくしとなり、戦争中から戦後にかけては標準服に羽織を着用したが、昭和三十年頃から経済成長にともないすべてが派手になった。嫁が部落に近づくと、定紋のはいった弓張提灯をもった若い衆が迎えに見え、長持唄に先導されて婿方の家に着く。その頃には「嫁様だあ」と歓声がおこり仲人に導かれて戸間口(玄関)に進む。この時に両側で総慨をこうこうとともし、鉄援親(女)と脇女郎(脇嫁、側嫁)によって、門盃をおこない、嫁は両親健在の青年に屋内へ抱込まれる。部屋にはいると、再び生家に帰らないようにと願って履いてきた草履の鼻尾を切って屋根へほうりなげる。結婚式新郎は紋付羽織袴をもって正装とし、新婦は禰檎うちかけ、綿帽子を用いたが今は角かくしを使用している。式場は上座敷をあて、島台(鶴、亀、松竹梅を飾り、台上には米を敷めちょうおちょうく)雌蝶雄蝶の銚子、三重ねの朱盃を飾る。一式が始まる前に嫁は側嫁、脇嫁と仲人の妻に導かれて上座床柱の前に着座する。嫁の前には「ひれ」の吸物の膳部が出る。検分役の一見郎党が着座すると、婿が下座に着座する。仲人の盃を始めることばによって夫婦盃が始まる。仲人の前には三宝にのせた根深、昆布、するめの輪切りを肴として割箸を添えて並べる。盃は、まず最初に三三九度の盃、ついで親子査、親類盃、兄弟盃の順に行なわれ、仲人によって一切進められるのが古来からの習慣である。盃のお酌をする子供をお酌取りといって、両親のある男女の子供が行なった。被露宴


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