箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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ひんだりふんだりつるした夜にや何つるした向こうのほら八ツに割って(「婿のまら八つに割って」がほんとうらしい〉さかさにつるした。天神様この祭りは、松島清水町付近では三月二十五日に高等科の生徒が中心になって行なった。版木で天神様のお札をすり、神官に拝んでもらってから各戸に配って、なにがしかのお金を集めた。その金で菓子を買って下級生に配り、上級生は魚のかんづめを買ってきて味付めしなど炊いて食べ、夜は澗前に小匡がけをして泊った。一下古田では、米、ニシジシ、ゴボ、醤油などを持ちよって上級生の当番の家で煮たきをした。それを公民館でみんなで食べ、レクリェIショγなどをして楽しむ。やはりお札を配って金を集めて菓子など買う資金にした。部落によりやり方は異なるが、子ども達が主体的に行なう祭りで、そうした中で子どもの世界のしきたりを知り、また同じ部落に住むものとしての連帯感も生まれた。L祭りの音楽隊氏神様の祭りの目、横笛、大太鼓、小太鼓、ジャンジャシ(シンバル)、チンチン(トライアングル)などを鳴らし、隊列を組んで部落中を回って歩く。音楽隊といって大正初期松島通り町にできたのが最初で、続いて各部落で編成された。学生帽や楽器をサクラ紙で作った花できれいに飾り、紅白のたすきをかけた一隊が、上級生の指揮で、「汽笛一声新橋を:::」、「裏の畑でポチがなく:::」、「青葉茂れる桜井の:::」、「向うに見えるは伊那電車」などの曲を繰返しゃって歩いた。氏神様の神前では、「天っ神:::」を奉納した。音楽隊ができて村祭りは一段とにぎやかになった。昔の婚姻は家を中心にして行なわれ、両親は勿論のこと、親類の発一言、意向まで重要視され、家柄が特に重視四婚ま因


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