箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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いえば、大体イモガラ、カγピョウ、カップシのおじゃと定っていたから、それ等を持ったり、おはぎをこしらえたりして行った。ほかには鉄撲親、助産婦さん等も招かれて行った。ササゲ豆のご飯を炊いて祝った。、一と七夜一と七夜には頭髪を剃り、後に宮参りの際氏神様の縁の下へ納めた。(中曽根)「まめ」であるように、豆か小豆のご飯を炊いて祝う。名つけ誰がつけるとも決っていないが、多くは祖父、父親などである。上の子が死んだりした運の悪い家では、生まれるとすぐ特別な人、例えば寺の子にして住職に名をつけてもらような場合もあった。拾い親四十二の二つ子といって、父親が四十二才の厄年に、二才になる子供がある場合には、親類とかお寺に捨てて、拾ってもらうことがある。捨てるときには、前もって両方で打ち合わせておいて、決めた時刻に縁側などに子どもを置き去りにし、帰ったころを見はからって家人が抱き入れ、後から生家に連れて行く。上櫛方面には、これに似た市っ子というのがあった。昔から昭和の初年ごろまで、松島に暮れ市といって、十二月二十八日に市がたつた。体の弱い子や、前に生まれた子に死なれたりすると、今度こそ丈夫に育てたいと願って子どもを市に連れて行き、途中最初に出合った人に貰ってもらい、訳を話して親になってもらうようなことをした。お宮詣呈に帰って生んだ場合、三週間たつと婚家に帰る。嫁の生家では、初着や祝品を整え、供を連れた里親が婚家に親子を送り届ける。このとき持参する赤飯を、婚家では親戚や近所に配る所もある。(中曽根)場所によっては三週間と限らず、お宮参りの前日までに帰るところもある。お宮参りは、男の子は三十二日目、女の子は三十三日自にする。お宮へは、この日にかった頭髪とごと七夜の頭髪を持っていく所もある)と白扇、男の子は筆墨と麻、真綿(白髪になるまで生きるように)、女の子は麻と真綿に針を持って行き、拝殿の格子に真綿で結び付けてくる。頭髪は拝殿の床下に埋める。神前で本日より氏子として無事息災に成長するように祈願して帰る。子どもを背負って行くのは、婚家に適当な女の子がいればその子、いない場合は鉄媛親が背負う場合が多い。


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