箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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"四十七年一"一、一/九四."四OOO九八年十"一、五四一、"十箕輪一年町婦人会一、八一O一ノ¥五、OO"箕輪村婦人ぷ;Z:;与Z一O占ノ、OO"Jコ』Z四J¥、J¥、一、O昭和一十五年一、九ZOOL四、五O円年度団体名会員数年間経費枝)この組合の規約第一条に、本組合は国民貯蓄奨励の趣旨に依り戦時財政経済政策に協力し、組合員一致団結して貯蓄報国の実を挙ぐるため貯蓄の励行を為すとある。婦人会の組織については南小河内を十四組として会長一名、副会長一名で会計を兼務した。昭和十七年二月二日愛国、国防両婦人会を統合して大日本婦人会となり、中箕輪村、東箕輪村、箕輪村婦人会はそれぞれ大日本婦人会の中箕輪村分会、東箕輪村分会、箕輪村分会となった。この婦人会には村内婦人のあらかたが入会した。服装は白の割烹着を着用して出動した。戦局が拡大されるに伴い、その活動範囲も広くなり、出征兵土の送迎、戦勝祈願、兵士の慰問文や慰問品の発送、留守家族、戦没家族の慰問等に、銃後の守りの大切な一翼をになった。こうした婦人会も終戦とともに、大日本婦人会を解散、新しい婦人会が組織された。戦後の婦人会の組織状況は次のようである。


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