箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 977

明治四十一年この年から沢の共研社は二年程の間「沢青年華進会」という名称も用いられた。明治末期の中箕輪村青年会明治四十二年の中箕輪村青年会の実情を中箕輪高等小学校「同窓」誌は次のように述べている。ここでは村内全部落の青年会でなく、原稿提出のあった次の六部落で当時の活動状況、事業、会員の様子などをうかがい知ることができる。O青年会(明治四十二年)松島去る三十三年の創立にして会員の面白は改るといえども尚今日に持続せり。その間消長盛衰は免れざりしも、ある時は名士を繭押して公衆の聴講を計り、ある時は幻燈会を聞きて多少とも婦女子の教育に資しまたは深沢が岡に公園を築く等の活動せる歴史を有す。市して現今は健全なる分子の一団体にして、会員は僅か三、四十名を出Oでざれど各自の熱誠はこの後大に望を嘱するに足るものあり下古田青年の団体に青年会なるものあり、明治汁九年の創立にして当初は卒業生以外の者も会員たりしが、漸次脱会、今日に於ては同窓会員で不動分子のみに依りて組織せらる与に至りぬ。その事業の主なるもの左の如し、基本財産の蓄積会員の労働に依り得たるものを貯金し、現今三十余円を有せり。道路の改修春秋二回区内の道路を修理し、あるいは道しるべの標杭を立て行道人の便を計る。L山番及び夜番共有私有の山林を巡視して盗伐を防ぎ、あるいは火災盗難を未発に警戒す。学術研究毎月一回宛開会し、題目を定めて研究し、あるいは各自研究せる結果を発表してこれが批判を締局口付


<< | < | > | >>