箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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7リ此時本社-一共親会ナルモノヲ設ケ規約ヲ定メ定期開会シ明治二十二年社長唐沢健十郎柴士口蔵大ニ其士山想ヲ発表セリ人員二十七名此年八月共親社ト改ム明治三十七年社長唐沢重雄唐沢停市此時談話会ナルモノアリテ会長、副会長幹事入社三名奨励員等ノ役員ヲ置キ規則ヲ作リ大イニ学術進歩セリ此時恰モ日露戦後、当共親社モ陸軍抽出兵部へ金員献納セ明治二十三年社長唐沢駒太郎唐沢亀次郎リ入社九名退社一名計三十二名明治三十九年社長唐沢寿三唐沢政雄(この年より入、退社の人数記載あり〉入社三名明治三十四年社長唐沢甚劫唐沢平三郎此年十二月獅子舞廃止ヲ決議サル入社三名退社六名計五十五名明治四十一年社長柴新士口唐沢停吾郎此時ヨリ入営兵士送別会ヲ始ム入社八名退社九名計五十五名以上が上古田青年会の概略である。年を追って各青年会の状況を見ると、明治二十七、八年頃日清戦争により国家意識が昂揚し盛んに活躍した。三日町では青年の力により、りつばな戦後記念碑が立てられだ。明治三十七、八年頃日清戦争当時の経験により、日露戦争には銃後にあって益と活躍した。明治三十九年沢共研社の社則には、目的が「教育勅語の主旨に基き国民の本分を尽すにあり」とあり、「社員は区内に原籍を有し二名以上の紹介のある満十五才から満二十六才迄の者なら誰でも入社できる」とある。箕輪町青年会沿革のあらましの中にも明治中頃にあって沢共研社の名が何回か出てくる。この沢共研社の社則を見ると当時の青年会の全ぼうをうかがい知ることができる。社長というような役員名称が見られ。一見会社を想像するが共研社、研志社、共親社というように社という集


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