箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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三町同志会、志友会一日富親和社一回北南…長小小岡河河新内内回日向矯正会誠志社研成社福与糾明社一長岡同志会一明治二十年頃になると、青年会の活動に組織的な動きが目立ってきた。その一例として次のような盟約も行われた。旧来のろう習を破って、改良を企てようという進歩的の動きである。盟匂約書我輩等従来之諸習ヲ一洗シ爾後ノ改良ヲ企図スルタメ救-一盟約ス明治二十年十月青年二十九名連署明治二十一年になると、沢共研社では、桑の品種改良に着目して、十五、六年継続して行なわれ、他の部落においても、この事業が活発に行なわれるようになった。次は上古田青年会の前身共親社の沿革概略である。天保八年より明治四十一年にいたる聞の記載があり、この間、昔は責任者を行司と称していたこと、明治二十一年より社長というようになったことなどがわかる。上古田共親社沿革概略(ぬき書き)万延元年行司徳五郎此時獅子アリ小重郎天保八年上古田村若者陵会ナルモノアリ行司二名ヲ以テ此時隣村祝儀見廻帳ア当時天保十二年嘉氷六年安政元年長トス行司斉司庄士日定書連名帳祭礼花受帳当社峨二本燈箆二十帳高帳一帳太鼓一つ焼皿箱入三十六枚ロ紙三本八点アリ行司字左エ門久五郎此時人形アリ行司伝治郎健蔵此時平太鼓アリ行司勝太郎杢助此時水引アリ文久コ一年行司豊蔵弁弥明治五年行司停左エ門徳三郎此時陸会規則ヲ作ル人員三十七人明治十年行司種十郎佐金治人員二十六名明治十六年行司唐沢嘉市、唐沢喜代太郎(この年より苗字が書かれている)明治二十一年社長唐沢元弥唐沢安吉此時ヨリ誠心社ト改ム、人員二十八名小鼓、剣、幕箱


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