箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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昭和二十九年十二月二十三日に、東箕輪中学校を統合する議決がされ五。「中箕輪町箕輪村中学校組合」の解散は「箕輪町設置のため、昭和二十九年十二月三十一日限り」となっている。同時に組合の規約も廃止し、財産処分は「新町設置と同時に同町に帰属する」ことになった。ここで、箕輪町立箕輪中学校になった。昭和三十年四月一日の箕輪中学校の生徒数は一年生四三三名二年生三年生四六八名四O一名O一、三二名であった。計昭和三十一年箕輪町の義務教育教材費の国庫負担及び児童、生徒数は次の通りである。義務教育教材費と児童生徒数調箕箕箕箕箕輪中部小学校西分校輪北小学校輪東小学校長岡新田分校輪南小学校輪中学校四一、九三三円一八二名一、OO二四三、一八六四一九η三、一五九四一七HHWOWW二二、一七六OOH一一一一H二ハ、二二七、四五九三二六五、六四六一、四027二三三、七五九、九九四名OHηHη箕輪町の発足と同時に、箕輪中部小学校の隣りにある箕輪中学校を、別の場所に建設する独立中学校の建築にOO着手した。公募債四万円を集め、建築委員会を構成し、校舎建築を進め、昭和三十二年三月八日に中山地籍金額児童生徒数


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