箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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め、小中学校長に学童復帰について申入れをした。「中曾根区民一同」の分市声明がおこなわれ分市を進める決意を表明した。中箕輪町教育委員会は上伊那地方事務所長に学童復帰の報告にあわせて、中曾根部落民の分市悲願達成への配慮を懇願した。伊那市教育委員会に学童復帰の通告をした。伊那市教育委員会より中箕輪教育委員会に、中曾根学童に関する報告書として、中曾根の分市が成立したので十二月二十八日にお別れの式をして送る。関係書類は十二月三十一O日以後に小、中学校へ送る旨連絡があった。西箕輪小学校でお別れの式を行ない、中曾根学童小学生四七名中学生三三名、計八名が完全に、中箕輪小中学生となる。このように中曾根の児童生徒は、四月より九月まで中箕輪小、中学校に、十月より十二月まで西箕輪小中学校に、一月より再び中箕輪小中学校で学習した。町村合併を機会に、東箕輪中学校生徒の、既に統合している中箕輪町、箕輪村の生徒との統合が東箕輪中学校にあった「独立中学校(仮想ごの資料には、統合の功罪を多様な面から研究している記録の主なるものは、次のとおりである。一、中学校教育の特性は適正な規模と施設が重要二、現在の東箕輪中学校の実態は学級数六小さすぎる施設教室一四室不足である用具不十分教科担任三名不足などを挙げて中箕輪町箕輪村学校組合立箕輪中学校への統合の動きが見られる。東箕輪中学校は此の時柄平の中学校生徒の委託を湖南村教育委員会から受けていた。統合により、箕輪町の教育委員会の委託となるのである。


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