箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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れる問題があった。これは五か村の分担金を東箕輪村が支払わないためであった。OOO二十三年度分は、建築費、経営費合わせて約二五万円になるが、「再三再四善処方と懇請に上ったのでありますが全然納入なく止むを得ず中箕輪町にて一時立替支弁の余儀なきに至り、更に昭和二十四年度の建築計画或は学校運営上に於て全く成り立た、なくなるため」にやむなく、「東箕輪村出身者の生徒通学停止方の通告する以外に方法なきことに決定し」二一名の生徒を、六月二十日限り登校を停止させるというものである。この通告により、東箕輪村は村会を聞き、の陳情、生徒代表の申出の動きがあり、十月三十一日、調停者として、上伊那地方事務所長が中箕輪町外四ケ村組合長と、東箕輪村長の間で、覚書を取り交わして結末を見た。設立趣旨の全面的賛同分担率の容認分担金額の納入の確認の三項が主なるものである。通告後の両者の交渉経過から考えて、問題の発端は、二十三年三月の新制高校設置のため、五か村が各議会のPTA議決を正式に経ていたわけであるが、東箕輪村の場合は、十分に審議をつくしていなかったこともあって、なお、この問題と併せて、昭和二十四年七月一日に、組合長は、「中箕輪高等学校固定学区制々定請願書」を県教育委員会に提出した。これによると、五か村の熱意により県移管になって第二年度を迎えて、整備拡充中である折柄東箕輪村に分担金の問題があるが、これは過重で納付不能というのでなく「昭和二十四年度に於て固定学区制が設定されると思っていたのが該当しないことで負担意欲がそがれた」ということであった。したがって可昭和二十五年度から、該学校組合町村を一括して固定学区の設定せられんこと」の請顕であった。調停成立より前の二十七日に南築輪村長は組合長に「学校組合脱退伺書」を提出している。理由は「本村議会の意見により」とあるが、これは、調停成立を願うためのものか、或は、調停成立によって解消したものであろ


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