箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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二、教科用図書の選択に関すること三、教職員の任免其の他人事に関すること四、教職員の指導に関すること五、教職員の研修に関すること教育委員の選出は昭和三十一年まで続き、十月には「地方教育行政の組織運営に関する法律」により任命制教育委員会となり、選挙によらない教育委員会を設置し、現在に至っている。後期中等教育の変遷と中箕輪高等学校敗戦後の新学制は青年の教育にも、大きな変容を見た。先づ青年学校である。敗戦と同時に影響を受けたのが、軍需工場に設置された青年学校である。戦争遂行上重要な工場に働く者たちのための学校が、敗戦と同時に廃校となり、郷里に帰って、そこの青年学校に転入することになった。敗戦の昭和二十年九月には、私立帝国ピストンリシグ岡谷青年学校から五名の転学届が箕輪車同年学校に届いている。書類の用紙は物資不足のため、裏面を二度使用してある。当時の用紙は、封筒に至るまで表、裏二回使ってある。学徒身体検査票の裏に届けの文章が記入してある。私立真志野青年学校は工場のグラフ用紙の裏面に、廃校と、転学の証明をして中箕輪村長に届けである。農村を主とする軍事教育を中心に置いた公立青年学校も、敗戦によって其の方向の転換を迫られるわけであるが、敗戦当初は学校運営について経済的に困難を極めた。昭和二十一年学校経営の上から「昨今のイγフレにより驚くべき物価の暴騰を見たるため既定の予算経理を以てしては如何とも運用ができない」として、寄附を父兄にお願いした。目標は一万三千円使途は、図書購入、机、腰掛の新調一ノ宮農場の施設、農産加工、家事施設で寄附方法は、二部通年在学生に対して四


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