箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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O六名の児童が一学級編成であった。O五万で校舎、医務室を建築し昭和二十八年一月落成式をおこなった。中箕輪小学校の分校であった、北分校も児童数の増加により、独立の小学校となった。昭和二十五年三月三十一日付をもって、中箕輪村立北小学校として、認可されたのである。設置当時の学級編成と児童数は前頁の通りである。続いて二中学校の設置昭和二十三年各町村に設置された中学校は、統合した中学校を設ける動きが起った。先づ中箕輪中学校と箕輪中学校である。昭和二十五年四月一九日組合立中学校設立の研究委員会を中箕輪町と箕輪村の聞に作った。これ'は組合立中学校設置のための、中箕輪町箕輪村学校組合である。当時の中箕輪中学校の生徒は九四三名、箕輪中学校は一九二名の計一一一一一五名であった。此の生徒を収容するための中学校を、中箕輪小学校の北へ拡張増築し校庭を新設しようとするものであった。「組合立中学校設置契約書」によれば開校予定昭和二十六年四月一日H提供予定中箕輪町現有施設一切開校以降HOO箕輪村建物四教室分の一万円建築、施設其の他の経費の負担生徒同数の机、腰掛、ミシン一台OZOZOZ戸数割四生徒割五町村割一


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