箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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ものであった。戦争による物資の不足は、教科書、学用品、ベんとう、衣料、暖房燃料等敗戦直後の学校に大きな混乱を招いた。従来の教授用品のうち、掛図、地図、運動関係用具、防具等軍事関係のものは焼却した。図書文書頼りに至るまで姿を消した。これは度重なる進駐軍の軍政部による学校巡視と、保存した場合の処罰の徹底によるものである。現在の各校で、当時の様子を知る資料が非常に少ないのはこのためである。昭和二十一年四月の教科書は当時の物資の不足をよく現わしている。不良の新聞用紙に、印刷したものを生徒OOOに一枚づっわたし生徒各自が切って適当な表紙をつけて織った教科書である。この中で疎開学童は、焼けた東京に、窓ガラスの破損した汽車で帰京した。分担学校はお別れの式をしている。疎開学童の東京への帰還と同じ頃、男子の教師の学校への帰還があった。内政部長より次の通達が出ている。「応召者及現役入営(団)者帰還ニ因ル退職者ノ取扱ニ関スル件」として、帰還により過員を生じた場合は、でき得る限り他校の欠員にあてるよう指示を出した。新学制による中学校設置が教員の急増に続く結果になる。昭和二十三年五月二十日上伊那郡新学制実施準備委員会を上伊那郡下におき、各町村はこの下に、町村毎に準備委員会を設け、新学制の普及発展につとめた。新制中学、新制高校、教員住宅等について会合を持ち研究を始めた。最初に着手したことは、新制中学のための校舎増築である。戦後の乏しい資材の中での建築はすべて割当制であり、許可制であった。次は中箕輪中学校の増築許可と資材の割当である。「昭二十三年四月一日新制中学増築許可資材の割当が右についてさきの申請のところ次の通りその資材の割当を決定して建設院から許可されることになったので御了承願いたい(追加分も含む)木材六石一ニ、セメント000キロ


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