箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


>> 933

タルモノニテ半身不随」の状態であること、村経済の運営の意志が無いこと、「猶甚シキハ」中箕輪の高等科へ通うため、寄留した生徒を「寄留地ノ学校へ入学タシメザルノ密謀ヲ策シ」たというのである。最後に、合併予定の中箕輪は「景況ニシテ」教育関係では明治十九年より、高等科に通学している。聞に天竜川があるが、「非常メ洪水」でない限り「小河内部落トノ交通ヨリ便利ニシテ且安全」というのである。そして長阿部落人民は深く昔と将来を考え「幸福、利益ヲ正当」に受けるため「両小河内ヨリ分離スルニアリト断定」したというのである。円で従前どおりの東箕輪尋常小学校が建築され、四十五年東箕輪小学校全景と奉安殿Oこの分村問題を経て和解に至り、明治四十四年一万八OOには高等科を設け、東箕輪尋常高等小学校となり、東箕輪農工補習学校も設置した。このように、明治四十五年に高等科を設置するまでは、中箕輪村高等小学校へ通学していた。これについては、両村長、郡役所の聞で契約証書を年度始めに一年毎に結んでいた。「東箕輪ヨリ中箕輪-一委託スベキ小学校教育事務」について、「各村会ノ議決ヲ経」ている。一、期間四月一日から一一一月三十一日三、,生徒は高等科二年


<< | < | > | >>