箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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「但し東箕輪村長ノ委託添翰携帯ノ者ニ限リ」ということであり、勝手に入学はできなかった。三、委託料は一人につき一ヶ年六円四月、八月、十二月の末日に二円宛支払う四、委託生が授業料を滞納した場合は、東箕輪村の村長が支払うというものであった。第五節大正期の教育第一次世界大戦は学校教育の場にも教科面、思想面、行事面等に新教育運動を招く結果となった。小学校の教科書について考えてみると、明治中期に検定制度を定め、明治後期の固定制度を経ている。大正七年には小学校一年生の国語は「ハナ、ハト、マメ、マス」の国定教科書になった。これは明治の修身を中心とする教科書から、歴史を重視する昭和の教科書への過渡的性格を持っている。また、「国民精神作興-一関スル証書」の発布により特に青年に対する戦時教育実施の色が増してくる。駒ヶ岳遭難大正二年八月二十六日中箕輪尋常高等小学校高等科二年生駒ヶ岳登山で遭難する。登山者校長、教員二名、同窓会九名、生徒二十五名、計三十六名死者校長、赤羽長重(西春近村)同窓生有賀基広(兄)直治、北川秀吉、平井実計一一名生徒堀峯、唐沢武男、唐沢圭吾(遺体を発見できず)、古屋時松、小平芳蔵、有賀邦美(弟)、有賀


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