箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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英習字・国文典等である。此の年は日清戦争の年である。箕輪高等小学校の生徒二八八名が、二円の献金をした年である。修学旅行も、諏訪神社へ「ラッパヲ用ヒ、O木銃ヲ持ツ等」軍事的の要素が、高等小学校には、暫次濃厚になっている。此の年、文部省訓令として「体育ユ重キヲ措クコト、尚武ノ風盛γナル」ということで体操は「軍歌を用フルコト」服装は「筒袖ヲ奨ムルコト」学習では「暗記等-一心ヲ過度ニ使用セシメザルコト」「初学年ノ作文ヲ廃ス」「試験ノ点数ヲ以テ席次ノ高下競走セシメザルコト」「児童ノ喫煙禁止ノコト」(現代の教育にも適合しそうな項も見られる)紘一すが出された。高等小学校の学級編成は現在に比較すると「厚飼い」である。明治二十九年の沢分教場の記録によると、「オルガシ有志寄附金-一ヨリ購求シ唱歌ヲ教ユ」とあり、明治十七年、音楽教育が緒につき、実際に唱歌として教科中に位置づいたのは、十年後であった。高等小学校に、木銃の改良とか教育品展覧会等が新たに加わり、女子の裁縫科規則も作られた。生徒数は増加したが、男女の比は同じ十分の一程度である。明治三十年、小学校教員任用令が出て郡長の推薦となり、高等小学に初めて女子学級をつくった。生徒の健康管理に注目したのも此の年である。学校医をおくようになった。トラホーム、栄養不良の発見であり、職員の身体検査書を提出させるようになった。高等小学毛筆画を女子に取り入れ、鉛筆画の改良ができた。また男児童区分学級学年言十摘要男|女第一学級正1学年60人60人50人50""二"2"45人45"""49人49""四"2"ニニ3"56人56""五"4"32人56"24""六"正1"2""七η正3"10"24"14"4"計七学級260人80人340人


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