箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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明治二十七年十月八日中箕輪尋常小学校位置之議ニ付区代表二名|←書記官へOOこれは「会議中余暇ナシ」で書記官に面会できなかった明治二七年一月八日校舎建設ニ付請願一村調和のため御差止めの願い木下区惣代一一一一一一名|←知事へこのように長年の木下区の校舎新築問題は、十月十九日に松島区に建てる入札公告となった。中箕輪尋常小学校新築の問題は、五年間松島木下の聞でゆれ動いた。そして明治三十一年中箕輪尋常小学校はO新築落成し移転の運びとなり、村長は「中箕輪小学校々数設置ユ関γテ」木下学校に一校舎を置き、富田の西箕輪委託を解く意見書を郡長に出して、木下尋常小学校として独立させた。木下校独立の問題はここで一応収拾を見たが、明治四十年再び異なアた形で木下の問題となる。高等小学校と進修学会これより一年早く明治二十六年に設置されたものに、女子の冬期裁縫専修科がある。これは一年後を経て、女子実業補習学校に発展するものである。冬期三年間各学年修身・一週間二時間、裁縫・三0時間、内容は一年運針糸止・二年木綿羽織帯・一二年袴となっている。明治二十四年・高等小学校中箕輪分教場の卒業生補習のために、「進修学会」一年修業をつくった。規則、教則を持つ育英事業であったが明治二十五年、小学校改正令施行によって廃止された。然し、これは高等小学校としては、画期的なもので特筆すべきことである。これにともない、明治二十一年の小学校令によって設置した、高等小学校中箕輪分教場は、三ケ村組合立箕輪高等小学校となって、上伊那高等小学校の分校から独立した。一年で廃止した「進修学会」は、二十七年に新しく設立された箕輪高等小学校に「補習科」となって発足しO育た。高等小学卒業のみでは不十分というわけである。教科は論語・日本外史・代数(一元一次方程式)支那史・中箕輪高等小学校学扱編成表


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