箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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OOOFOOO中箕輪尋常小学校関係では、明治二十七年に中箕輪役場で校舎新築の入札が行なわれた。これは明治二十二年より五ヶ年を要してようやく此の段階に至ったのである。明治十九年、一村一校制の際松島学校と木下学校は、合併するを前提としての、木下教室を置いたことが遠因である。合併問題と位置の問題の紛糾である。現在木下に残る文書によると木下耕地人民の様子がわかる。明治二十二年十二月七日中箕輪村会中止の請願木下耕地人民十四名|←郡長へ明治二十二年十二月十三日木下学校独立の請願木下惣代七名|←県知事へ明治二十二年一月六日中箕輪学校木下耕地新築請求書耕地人民惣代八名|+村長へ二十三年八月十二日(木下に)学舎新築請求書人民惣代八名|←知事へ明治二十四年七月十五日会議不当(木下に建てないため)の訴え明治二十五年三月契約書木下区民連印契約書上伊那郡中箕輪村木下区今回小学校令ニ依り校舎位置変更ノ事アリ。就テハ吾々明治十九年以来ノ素志ヲ継ギ、左ノ条項ニ依準シ、致協力必ズ其目的ヲ弦に達セシコトヲ誓フ第一条一、松島南端へ(県令指定地)校舎ヲ建築スル事


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