箕輪町誌(自然現代編)

箕輪町誌のデジタルブック 自然現代編


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学制初期に雇入れ制であった授業生(助手)の身分、給料を改正し、規則をつくって明確にした。授業生の検定は、試験をおこない経歴を重視して、校長がおこなった。月俸は一円五銭以上八円以下O多数の学級は、授業生二人以上を「常置スルコト便宜ナリトス」というものである。明治二十二年は尋常小学校四年の卒業生が各校とも無かった。小学校令による編成のためであった。此の年に町村制の実施により、東箕輪村は聯合村から独立し、東箕輪尋常小学校となった。各校とも高等小学校の生徒は増加の傾向にあったが、やはり女子の数は少ないので、郡長よりの賞状賞品を授与するなどして、其の数を増すことを工夫した。明治二十三年十月、教育に関する勅語発布があり、各校とも「奉戴式ヲ校庭ニテ行フ郡長始メ村長、学校職員参列シ盛ナル式」をおこなった。勅語奉安殿もやがて作られ、儀式には必ず校長が盛装して朗読し教育の方向とした。此の年大出派出所生徒は沢支校と合併した。高等科三、四年が初めて修学旅行をしたのもこの頃である。西箕輪第六天|郡役所|警察|裁判所|高遠町泊帰校Lのコスである「生徒ノ経費ヲ少クシタリ。一人七銭ナリ」であった。中箕輪尋常小学校舎の新築入札公告


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